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「エッセイ」泣き笑いの最期の言葉#シロクマ文芸部


「チョコレートとか、もっと洒落た物言えば良かったのに……」

「チョコレート」の題を見た時に浮かんだある出来事を思い出して、私はこたつで一人クスっと笑ってしまった。
もう十何年も前の事だ。


昼下がりのその病室は陽射しが柔らかに降り注いで、ダーちゃんのベッドの横に腰掛けている私は、よくウトウトしていた。
療養型病院では付き添いやお見舞いの人はあまり来ない。でも四人部屋のダーちゃんが居た病室だけは、いつも賑やかな笑い声に溢れていた。
と言っても患者三人は寝たきりで、上手に話せるのは元JAの偉い方だったと言う認知症を患ったお爺さんだけだった。現役の頃は厳しくて怖い人だったらしいが呆けてからは、とても優しい性格に変わっていた。いつも

「お母さん、お母さん」

と大きな声で奥さんを呼ぶ。その奥さんがまた突拍子もなく気さくな方で私をとても可愛いがってくれた。病院では言ってはいけないような暴言も奥さんが吐くと何故か憎めなかった(笑)

「あんたっち旦那は橋の袂から拾われて来ただね~」
「えー、何で?」
「だって、あのお父さんとお母さんから、こんないい男が生まれるはずないら」(方言丸だし)
「えー、悪いな〜、お母さんは(笑)」(私もいつの間にか奥さんのことをお母さんと呼んでいた)
帰る時はいつも、ダーちゃんのほっぺたをペシペシ叩いて
「あんた、早く起きないと奥さんの見合い相手、私が探して来ちゃうからね」
と脅かしてくれた(笑)

介護生活は暗くて辛い日々も多かったけど、それだけではなかった。介護が日常になると小さな楽しみや喜びだって生まれてくる。

あ、横道に逸れてるね(苦笑)その面白いご夫婦のエピソードは、またの機会にして。
今日は斜め前のベッドに居たアルツハイマー型痴呆症のお爺さんのお話をしたいと思う。

アルツハイマーのお爺さんは90歳くらいで私達が転院して来た頃は、まだベッドから起き上がる事が出来たが、だんだんと弱っていく過程にあった。
小柄で可愛いお婆さんが、同居している息子さんの奥さんと二人で週末やお休みの日にお見舞いに来る。
奥さんは上品で優しくて美しい人、お婆さんは本当に可愛くて、ちょっとやんちゃな感じ(笑)
いつも奥さんが
「お爺さん、お爺さん」
って、アルツハイマーのお爺さんをベッドに座らせて「水ようかん」を食べさせるのを私は微笑ましく見ていた。お婆さんは小さくて力もないから「声の応援団」だ(笑)

「お爺さん、嬉しいね〜、〇子さんに食べさせてもらって」
「美味しいだろ?美味しいって、言ってごらん!お爺さん」
「水ようかん、み、ず、よ、う、か、ん」
そう言うとお爺さんは時々、お婆さんの真似をするように
「み、ず、よ、う、か、ん」
と言った。
「そうだよ、そうそう!」
お婆さんは、その度にとても嬉しそうだった。

もう先が長くないから、喉に支えさえしなければ何を食べさせても看護師も介護師も見て見ぬふりをしてくれた。
そのお爺さんが急に弱り出して、口から物が食べられなくなった際に「胃ろう」と言う延命治療に踏み切るかどうするかと言う話しになった。

病室で息子さんが
「おふくろ、どうする?」
お婆さんに意見を聞いた。上品で優しい奥さんは口を挟まない。その時はお孫さんにあたるご夫婦のお嬢さん二人も来ていた。
所謂「生命の長さの決断」を迫られていたわけだ。

「お爺さんは、もういっぱい看てもらったから、あんたが決めていいよ」
お婆さんは精一杯、明るく言った。お孫さんのお嬢さん二人は
「ジィジにもっと長生きしてもらおうよ」
涙目で訴えた。
お婆さんはそれ以上言わなかったし、奥さんは一言も話さなかった。
暫くの沈黙の後、設計事務所を経営していると言う息子さんが
「もう、これ以上は止めよう」
静かに言った。

これが「血」なんだなとその時、私は思った。一番看てきたのはお婆さんと奥さんだけど最後の決断は血が通っている息子さんとお孫さんに託された。
奥さんは逃げるように
「すみません」
と席を外した。その手にハンカチが握り締められていたのを私は見ていた。大粒の涙が頬をつたっていたのも……

設計技師だと言う息子さんは、私の方へ近付いて来て
「すみません、すみません。〇〇さんを否定しているわけじゃないんですよ。親父は歳だから」(ダーちゃんは胃ろうをしていた)
私にではなく自分を責めるように何度も謝った。
「分かっていますよ」
私はお婆さんを真似して精一杯明るく答えた。
そうでなければ、たった今、自分の親の寿命を決断したこの人を余計に責めてしまう事になる。
「それに恥ずかしい話し、お金も掛かるし…」
お嬢さん達に届かないくらいの声で私に言った。ああ、お嬢さん達はまだ大学生なのかな?自営で二人のお嬢さんを大学に通わせ、父親の入院費を工面するのは大変なことだ。私達が来る前からずっと何年も入院していたのだし。

何かに頼りたい、誰かに謝りたい…

そんな気持ちだったのかもしれない。私よりもずっと年上の男性に涙ながらに謝られたのは、あれが最初で最後だ。しかも何も悪い事はしていないのに。
点滴だけになったお爺さんは、それでも二ヶ月程は保ち堪えていたがだんだんと衰弱していった。もちろん、もう「水ようかん」は食べられない。

「お爺さん、もう一度何か言ってみなよ~」
小さいお婆さんは気丈に明るく振る舞っているが寂しそうだった。

その日も、のどかな午後だった。
私はダーちゃんに話し掛けたり、手を握ったりしながら、のんびりした時間を過ごして居た。前のベッドの「お父さん」(元JAのお偉方も、いつの間にか、私はそう呼んでいた)は歩くリハビリに出掛けていたので、その奥さん(通称 お母さん)も居なかった。
隣のベッドの脳梗塞で二回倒れた人はダーちゃんと一緒で殆ど意思の疎通は出来なかったから、意識があるのは私だけだった。

あの時、確かに私は聞いた。
アルツハイマーのお爺さんが布団から片手を上げて、か細いがハッキリと

「まんじゅう!」

と言ったのだ。
「えっ?」
私はお爺さんのベッドへ駆け寄りその顔を覗き込んだ。
痩せてしわくちゃになった顔は、きつく目を閉じているが、なんだか笑っているように見えた。

「まんじゅう、まんじゅうか…(笑)」

今度、お婆さんが来たら教えてあげよう。お爺さん、喋れたよ。しかも
「まんじゅう」
だって(笑)
その週末、お婆さんと奥さんが来た時に私は、その話しを二人にした。
「お爺さん、喋りましたよ!まんじゅうって」
お婆さんは
「お爺さん、喋ったの?ヤダよ、この人、まんじゅうの夢でも見たのかね」
ヤダよと言いながら、とっても嬉しそうだった。奥さんは私にお礼を言ってから
「報われました」
と一言、言って涙ぐんだ。

それから数週間後にお爺さんは還らぬ人になったけど、ご葬儀が終わって一段落付いてから、お婆さんとご夫婦が病室へお礼に訪れてくれた。

「今まで、ありがとうございました」

お母さん(JAのお偉方の奥さん)と私は
「何にもしてませんよ」
二人で笑って答えた。
奥さんは私の手にまだ暖かい「炊き込みご飯」を渡してくれた。

「変な意味じゃないのよ、貴女が可哀想とか同情じゃなくて、頑張ってるから…頑張ってるから、応援のつもり」
そんな意味の言葉を掛けてくれたと思う。

「それにしても、爺さん、最期の言葉がまんじゅうなんて笑わせるね〜」
お婆さんは笑いながら遠い目をした。
「〇〇さん(私の事)、爺さんの最期の言葉を聞いてくれてありがとうね」
お婆さんは小さな手で私と握手をした。

チョコレートとか、もっと洒落た物言えば良かったのに(笑)まだ、水ようかんとかさ~」
お婆さんは「まんじゅう」が不服そうだったけど
「優しくて明るい楽しい人だったからね」
初めてお爺さんの人柄を話してくれた。
「冗談を言って、よく笑わせてくれましたよね」
奥さんも懐かしそうに目を細めた。

あの日食べた「炊き込みご飯」は、今まで生きてきた中で一番美味しかった。




小牧幸助さんの企画に参加させて頂きます。
よろしくお願いしますm(__)m

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