「エッセイ」一人暮らし
耳の奥が静寂に満ちていく。
それを妨げるかのように、しーっとした音にもならないような音が響いている。
なんだ、これは?
ああ、部屋の隅に設置した空気清浄機が、静かに自分の仕事を全うしているのか。私が働かせているのに静寂の邪魔をする機械を横目でちらっと睨む。右手に挟んだ細いケントが悪いのに(苦笑)
そうだ、こういう時はお風呂を沸かそう。
こんな孤独を感じる日は、心の代わりに身体を暖めてしまおう。
私が純粋な一人暮らしをこのアパートで始めたのは、今から六年程前に遡る。それ以前は夫と暮らしていた古びたマンションに私の両親と一緒に住んでいた。
何故、「夫と暮らしていた」と過去形なのかと言うと離婚した訳でも死別した訳でもなく、当時、私の夫は「くも膜下出血」で倒れて七年の間、植物状態で入院していたからだ。そんな私を手伝うために私の両親は一緒に住んでくれていた。
六年程前、遂に夫がICUに運ばれ余命幾ばくもないと宣告された際に私は引っ越しを決心した。
そんな大変な時にどうして?思うかもしれない。大変だったからこそ、引っ越すことに決めたのだ。
引っ越し先の条件は沢山あったが、どうしても譲れなかったのは
①「夫の病院に今よりも近い場所」
②「駐車場が付いている事」
③「トイレと風呂場が別々である事」
④「最低、二部屋はある事」
③以外は、全て夫の事を考えての事だった。それまで住んでいたマンションからは、夫の病院へ通うのに車で50分以上はかかった。これでは万が一の時に間に合わない。②の駐車場が付いている事も、その為だった。④の二部屋と言うのは、夫の荷物を全て運び込みたかったからだ。
上手い具合に条件にぴったりな所が見つかり、マンションを離れる時、両親の顔を見て涙が溢れそうになった。
「今まで支えてくれて、ありがとう。元気で居てね」
父は一言
「〇〇(私の本名)頑張れよ」
とだけ言って握手をした。
今生の別れでもないのに、不覚にもこぼれ落ちそうになる涙を必死に堪えて、私は引っ越し業者と共にこの家にやって来た。
覚悟があっての事だった。七年の間に年老いた両親にこれ以上は頼れない。心の片隅に「夫には、もう奇跡は起きないかもしれない」と言う思いも、もちろんあった。
それから数ヶ月後、精一杯生きようと身体だけで闘ってきた夫が天へと旅立った。
あの夜も、私はお風呂を沸かしていた。
浴槽に膝を抱えて座り込み、仄かに立ち上る湯気を見つめながら、七年半の闘いに決別するために暖まっていた。
ああ、そうだった。
夫が倒れた時も古いマンションのステンレスの浴槽に湯を張って私は顔を埋めて泣いていた。号泣する声をシャワーの音でもかき消せなくて、浴槽に顔を突っ込んで泣いていた。心配して駆けつけた両親にこの声を聞かせたくなかったから。
どうやら、お風呂場は私の唯一の泣き場所らしい。
じゃあ、やっぱり②「トイレと風呂場が別々である事」は、私の引っ越しの必須条件だったんだ。
暖まってきた身体を脚から徐々に伸ばしていく。顔の毛穴が開き暖かな湯気を吸い込んでいくような錯覚に陥る頃、目を瞑り遠く歩んで来た自分の道程を思い出す。
「これで良かったんだ」
私の一人暮らしは悲しみや寂しさからの出発だった。でも、こうして今、孤独を味方につけて楽しむ自分を築いてきた気がしている。
失ったものは大き過ぎるが、その代わりに私は「自由」と言う掛け替えのないものを手に入れた。
私は生きる。
失くした時間を取り戻すように、1人きりの時間をこれからも満喫していこうと思う。
寂しくなんて、
寂しくなんて、ないやーい!
メディアパル様の企画に参加させて頂きました。
こんな特殊なケースでもいいでしょうか?
よろしくお願いします。