算命学余話 #R101 「守護神#12 丙×冬」/バックナンバー
独自の視点と強気な発言でキワモノ扱いされている感もある哲学者の摘菜収が、以前自著の中で「激辛好きは頭が悪い」と豪語しているのを読んだ時、思わず笑ってしまいました。実は私もそう思っていたからです。しかし自分の中でこの説には根拠がなく、せいぜい身の回りの賢い面々には激辛好きは一人もいないことと、友人とは見做していない知合いの中に激辛好きがたまにいて、それらがいずれもお粗末な頭の持ち主であるといった経験則ぐらいのものでした。そのモヤモヤをこうもはっきりと明文化、しかも高い教養と知見を備えた人間(高潔とは言えないかもしれないが)が断言しているのは、実に清々しく痛快に思われたのです。聡明なる算命学余話の読者の皆さんは、勿論激辛好きではありませんよね。
摘菜氏がその時どういう根拠を並べていたかは忘れてしまいましたが、最近立て続けにその根拠となる科学的見解を耳にしました。要は、味覚における「辛さ」とは「痛さ」と同義であるので、激辛料理を食べると「痛み」を感じた脳がこれを和らげる緩和物質を出す。いわば脳内麻薬です。それが多幸感を生むため、激辛料理がやみつきになるというわけです。結論としては、辛い物好きはそもそも薬物依存の素質があるということ、過度の刺激による多幸感を欲するほど実生活がイケてない不幸な人であるということ、自力ではなく他力によって至福感を得ようとする人であるということ、こんなところです。これらを総合して、摘菜氏は「激辛好きは頭が悪い」と一刀両断したのでしょう。
算命学的に言い換えれば、幸せだけを求めて不幸を人生から完全に排除しようとする人は陰陽論が判っていないし、概ね利口な人というのは、急激な成功や一時的な上昇が幸せにとっての蓄積にはならないことに薄々気付いているし、他力よりも自力で獲得した幸せの方が遥かに堅実で価値が高いことも知っているからだ、ということになります。
首を縦に振っている皆さん、勿論激辛なんて食べませんよね。というのは、私の所に運勢鑑定を依頼される方の中に、たまに「自分の今後の人生をすべてコーディネイトしてくれ」と言ってくる人がいるからです。自分がやると失敗するかもしれないので、算命学で成功だけする完璧なロードマップを作ってくれ、自分はその通りに生きるから、というわけです。
こういう人には本当にガッカリさせられます。せっかく自然が与えてくれた自分の人生を自分で構築するチャンスを、みすみす他人に譲り渡して自分はその結果だけ欲しいというのですから。そんな他人任せで得られた成功が至福感を約束してくれると思ったら大間違いです。そんな成功はあなたの功績ではなく、他人の功績です。その功績によって他人の宿命の輝きが増すことはあっても、あなたの宿命は輝かないままくすぶって一生を終えるだけです。
あなた、激辛好きでしょう? 唐辛子が与えてくれる多幸感は違法薬物の効用と同じです。長続きしないどころか、心身を蝕んで老化を早めるだけです。激辛よりも、頭の良くなる青魚をもっと食べなさい。その方が幸せへの近道になります。
今回の余話は、守護神の続きです。丙火もこの冬で最終回です。守護神の記事は今までのところ人気のないテーマで、あまり読者が増えていません。算命学の技法を欲している少数の人しか購読していないということなのでしょう。それは言い換えれば、算命学の技法でなくても読むに値すると見做してくれている読者が多いということです。そうした読者を見込んで、上述のような発言をわざわざ紙面に残してみました。責任を持って発言している言葉なので、撤回はしません。読者の皆さんは勿論激辛など食べない人だ、という前提で執筆しております。
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