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算命学余話 #G30 「自動化と忘却、人間性」/バックナンバー

 前回のブログの記事の引用をもう一度振り返ってみましょう。出典は平野啓一郎氏の評論『自由のこれから』(2017年)。

――自分の苦労の分だけ、他人も苦労していなければ損したような気分になる。

 昨今のコロナ禍で登場した「自粛ポリス」や「マスクポリス」がこういう動機で正義を振りかざしていると感じているのは、私だけではないようです。かく言う私も、周囲に全く配慮することなく傍若無人に振る舞う人間はこの世から消えてなくなれと常々願っているし、そういう配慮をする躾を受けていない外国人が日本に移住するのは断固として阻止したいと考えていますが、それでも〇〇ポリスは、独りよがりの正義感が周囲に不快と不自由を強いていることに気付かないボンヤリ者であるか、或いはそれを承知でやっているマウンティング・ハラスメントとしか映りません。

 こういう輩が世に増えると世間はどうなるか。まさか皆さん、この先一生マスクを着けて生きて行くつもりじゃありませんよね。でもこういうエセ正義感が蔓延すると、マスクどころか防護服を着ない人間は非国民とかいう価値観が何十年もはびこるかもしれない。いいんですか、女性の皆さん。戦時中はモンペを強いられましたよね。あんなみっともない格好で、もう戻らないかもしれない夫や恋人を戦地へ見送らなければならない無念を忘れたんですか。きれいな格好で見送って、美しい姿を思い出にして欲しかったのではないですか。
 誰がモンペを強いたか思い出して下さい。そしてそんな政策に効果があったかどうかも。モンペ履いたら原爆を除けて逃げられましたか? トンチンカンな指示を出す人間はどういう人だったでしょうか。事態を正しく把握・分析できた人だったでしょうか。できた人であれば、原爆も空襲も起きない方向へと国家を舵取りできたはずです。「自分が我慢している分だけ他人も我慢しなければ損した気分になる」という狭量な感情を隠すために「大声で」独りよがりの正義を社会全体の正義であるかのように唱え、それに反する人を非国民と呼んで糾弾した人間は、戦後大きな顔して生きられたでしょうか。同様に、自粛ポリスの末路は目に見えています。自分が狭い心を持っていることを正義で隠そうとする発想そのものが、間違っているからです。

 とはいえ、平野氏が指摘したこの真理は、人間の抱える本能のひとつであって、根絶することはできないでしょう。算命学はこうした人間の本性を矯正してゼロにしようとは考えません。この種の本性は生物としての生存欲求に適ったものだからです。「悪者扱いして根絶しようとしたら、実は別のシーンで役に立っていたたんぱく質」のように。
 算命学ができるのは、こうした本性や本能を適度なバランスで抑制し、適材適所で出したり引っ込めたりする工夫を提示することですが、今回の余話は、平野氏が同じく『自由のこれから』で述べた、以下の引用のようなオートメーション化に関する危険性について考察してみます。

――僕たちはある意味では刻々と自由を奪われているんだけど、全体主義体制のような苦痛を伴う奪われ方ではなく、どこかすごく心地のいい奪われ方として感じられる。何でもオートメーション化されると楽だし、アマゾンで買い物もする。それで大きなチャンスを逃しているかもしれないけれど、基本的には、大多数が心地よいと思って利用している。(『自由のこれから』より)

 これとは別に、脳科学の立場からは、オートメーション化の利点についても指摘があります。勿論その利点とは、単に「生活が便利になる」という薄っぺらな理解とは違ったものですが、内容は以下の通りです。

――脳は人間の体重の2%の重さしかないのに、エネルギー消費量は体全体の20%にも上る。脳はその燃料不足を少しでも軽減しようと常に省エネを考えている。そのため人間は日常生活に必要な作業は無意識にこなせるようにできている。心臓や肺のほか生命活動に必要な機能は本人の意図を無視して自動運転できるようになっているし、それ以外の生活動作や仕事も熟練すればするほど無意識にできるようになる。スポーツ選手などの「ゾーン」はその極地である。いちいち考えなくても無意識に自動的にあれこれできるようにすることで、脳には稼働していない空きスペースができ、そのスペースを別の新しい作業や難しい仕事、更には閃きに使うことができる。そう考えると、人間は作りとして、オートメーション化を是としている生き物である。

 オートメーション化は是か非か、意見が割れました。では第三の見解として算命学の視点をから眺めてみましょう。

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