見出し画像

算命学余話 #G67 「守護神#19 辛×秋 」/バックナンバー

 生物学の世界では、人間が老化して死ぬのは、肉体の細胞を作るよりも壊す方が速くなるからだと認識しています。人間は日々食事によって栄養やエネルギーを補給し、その過程で体内に溜まった老廃物など不要なものを体外へと排出していますが、生命の営みはこの繰り返しで、入れては出す、入れては出す、であり、その目的と言えば、作っては壊し、作っては壊すため、です。そして作れなくなった時に、死を迎えます。
 どうしてこのような仕組みになっているかというと、人間の身体に限らず、物質世界ではあらゆるものが劣化する定めだからです。食べ物は放置しておけば変質してやがて腐敗するし、鉄は酸化して錆びていく。我々の身体も日々酸化していて、どんなにアンチエイジングに勤しんでもこれをほんの少し遅らせることができる程度であり、とめることはできません。
そこで、酸化する前に先んじて細胞を壊し、壊した分だけ新しい細胞を作って入れ替える。これを繰り返せば、人間は酸化という劣化を免れることができます。人間の身体は、自身の酸化を予防するために、自己の細胞を自ら更新するという戦略を選んだわけです。

 生物学の考え方によると、この世界は、「形あるものから形のないものへと変わっていく」仕組みになっていて、その逆はないということです。生物が死ねばその死体は微生物によって分解されてバラバラになり、跡形もなくなるけれども、これは物質である体が消えたということではなく、分子レベルにまで分解されて形がなくなったと解釈します。仮に死ななくても、細胞を更新せずに放置しておけば細胞は早々に劣化し、やがては腐敗して分解されて形を失うという結果は同じです。そんな風に肉体という形がなくなってしまっては困るので、我々の身体は日々刻々せっせと古い細胞を壊しては、新しい細胞を作って更新作業を繰り返している。そしてこの更新作業が正常に続く限り、我々は生き続けることができるのです。
 更新作業を辞めてしまえば、体は維持できずに形を失って、ほどなく死に至ります。生きているということは、「作っては壊す」というサイクルをバランスよく維持継続することであるので、生きていたいのならサイクルを止めてはなりません。呼吸を止めてはならないように、生きるためには絶えず作業し続けなければならないのです。

 算命学を絡めて考えると、この仕組みは非常に宇宙的で普遍的です。例えば、生物に限らず、服や町や建築物もこれに当てはまります。
 家は古くなっても修理しながら住み続けることはできるのに、住まなくなった途端に廃屋へと急激に加速します。服や靴も長く使わないとカビたり虫食いに遭ったりして、そのまま捨ててしまうことも。町も若い世代が出て行ってしまうと高齢化が進み、駅前はシャッター街となってさびれてしまう。しかしそこに価値が見出されれば、完全に廃屋となる前に古民家リフォームをしてカフェとして再利用もできるし、服や靴は少しお金を払ってクリーニングすればまた履けます。同様に町や都市も、復興・再開発すれば人を集め、再び栄えることができます。

 更には有形のものに限らず、無形の、例えば文化や知恵や技術もこれに当てはまります。現状に甘んじて満足していたらいつの間にか劣化していたのは、更新作業を怠ったからです。ましてや放置したなら一気呵成に廃れてしまう。後継者がいないというのは、こういうことです。文化や知恵の継続もまた、それを壊しながら作るという作業の繰り返しとセットで生き長らえていくものなのです。
 この更新は、古いものを全部壊して一から新しいものを作ることではありません。古いものの一部だけを壊して大部分を温存しながら、壊した分だけ新しいものを継ぎ足していく。これを繰り返せば、いずれ古いものは全部新しいものに置き変わることにはなりますが、そのプロセスには内容の受け渡しがあります。バトンは繋がっていて、断絶はしていないのです。

 どの辺が算命学的で、宇宙的な話なのか、お判りいただけましたか? 算命学は家系論が発達していますが、家系や血筋、今風に言えば遺伝子が継続する図式とは、概ねこのようなことです。家系に限らず、思想や技術、文化の継承もこれに当たります。要するに、この宇宙に存在するあらゆるものは、自然の循環とその法則の中を巡っているのであり、その法則から逸脱したものは、形を保持できずに淘汰される。算命学にはお馴染みの自然思想です。
 なお付け加えるならば、上述の生物学の視点では、「この世界は、放っておけば形あるものから形のないものへと変わっていく仕組みになっていて、その逆はない」とのことですが、実際は「形のないものから形のあるものへと変わる」逆の推移はあります。それは、原子や分子が結合を繰り返して物質や生物を構築する過程です。但し、我々はその過程を目で見ることはできません。原子や分子があまりに小さくて、肉眼では見えないからです。しかし見えなくとも理屈では理解できますし、何より陰陽論は、「一方通行などあり得ない。たとえ見えなくとも逆の作用は必ずある」という前提でこの世の仕組みを読み解く思想です。

 このように、算命学は単なる運勢診断のツールとしてだけでなく、宇宙の仕組みを解析するための推測ツールとしても使えます。勿論、もっと卑近な日常生活の知恵としても有効に活用できます。利用できるかどうかは、使う人の腕次第です。
 そんな幅広い活用範囲を誇る算命学ではありますが、今回の余話は幅をぐっと縮めて、お馴染み「守護神」の続きです。
金性にとって秋は旺地ですので、金性としての実力を思う存分発揮できる季節です。特に辛金は宝石なので、秋生まれは宝石としての価値を上げるための環境が整っている、という解釈となります。しかし同時に、陰陽論はバランスを求めるため、強すぎる金性は却って運勢を損なうとしています。従って、秋生まれの辛金は、有利な環境をある程度制御することも考慮しなければなりません。

ここから先は

1,001字
この記事のみ ¥ 600

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?