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算命学余話 #G115「好き、の威力を考える」

 前回の余話は、強力な霊感の持ち主として名高い命式型をテーマに実践鑑定を掲げてみましたが、思ったほど反響がなかったところを見ると、「強力な霊感」に期待されているのはアニメの主人公的な超能力の発揮であって、実在する俳優の役作りの手立てとして駆使されるのではインパクトが乏しかったのかもしれません。例題の俳優の肉親縁についても、両親ではなくとも血縁者である親戚に養育されたという点は、人知を超えた霊感を備えるには条件が弱かったと言えるのもまた事実です。
 しかし算命学の言うところの霊感とか強運とかは、往々にしてこうした一般社会に溶け込んで発揮されているものなのです。そしてそれは、必ずしも目に見える形の際立った例として我々の視界に提示されるものでもない。それどころか、霊感や強運がその発揮を妨げる環境下に置かれるなら、その発現そのものが抑制され、一生使われずに人の目にも止まらずに人生を終える、という例にもなる。むしろそうした人生の方が多いくらいです。

 「自分の命式にはこれだけのカードが揃っているのに、なぜ自分の人生は輝かないのか」とお悩みの方は、「命式に揃っているカード」を自分が駆使できていないことを自覚すべきです。せっかく持って生まれた大切な道具を使わず磨かず、宝の持ち腐れにしているから運勢が伸びないのです。運勢が伸びる人は、そもそも自分の宿命にどんな星が並んでいるかを気に掛ける前に、自分がいかに充実した時間を過ごせるかに頭を使い、その実践に勤しんでいます。
 毎度同じ結論で恐縮ですが、人生はざっくり、宿命が五割、生き方が五割です。宿命が満点であっても生き方が0点なら、トータルは50点の人生です。50点は平均値ですから、そこに際立った輝きが見当たらなくて当然です。逆に、生き方で満点が取れた人は、宿命がそもそも0点ということはないので、平均値の50点は確実に超えます。たとえトータル51点であっても、50点の人よりは輝いています。そういう風景を思い描いて算命学を活用下さい。

 こう言うと、「自分がどうしたら充実した時間を過ごせるかがそもそも判らない」という意見が出て来ます。いえ、判らないからこそ「頭を使って」自ら考えて頂きたいです。尤も、大して頭を使わずともそれが判る方法はあります。それは「好き」という感情です。
 「好きこそものの上手なれ」はこれを裏付ける格言です。逆に「下手の横好き」はこれを否定するもの。どちらも真実ではありますが、ここではいずれも結果しか注目されていません。奇しくも「プロセスの存在論」に合致しますが、算命学もまた結果よりも過程の方を重視します。一回か、せいぜい数回しかお目にかかれない人生の成果よりも、生きている限りずっと続く長い時間の過ごし方の方が、遥かにその人の人生を物語っているという考えだからです。
 「人生、好きなことだけやって暮らせるものならどんなに幸せか。しかし実際はそんなことはできず、好きでもない仕事や我慢をして、おまんま食っていかねばならないのが人生だ」というのが常識的な声だと、私も思います。算命学は陰陽論なので、幸せ一辺倒なのはむしろ危険で、大きな不幸の前段になる、くらいに考えて中庸を勧めます。中庸を保つためには人生に苦味は必要です。
 しかし今回は、敢えて「好き」を深掘りしてみたいと思います。人間は、好きなことをやっている時の方が断然パフォーマンスが上がるからです。逆にイヤイヤやっている時は、能力の半分も発揮できない。それでも人の好みは千差万別。各々の好みが分かれているからこそ、社会は穴を空けずに回っていけるのです。

 料理研究家の故・土井勝氏が面白いことを言っています。それは「料理は好きな人に作ってあげたいと思うものです。誰も嫌いな奴になんか作ってやりたくない」というもので、誰もが知るような料理界の大御所も料理という作業のモチベーションを重視していたことが判ります。私はこれを真理だと思いました。
 料理に限らず、何事においても「好き」という動機は威力抜群です。同じレシピで作られた料理は、好きな人に作った場合と嫌いな奴に作った場合とで味が変わるのでしょうか? おそらく機械で分析できるような味そのものは変わらないでしょうが、そこに込められた、或いは周囲を取り巻く気は雲泥の差でしょうね。この「気」とは人のメンタルを動かしたり、幸運を呼んだり遠ざけたりといった、目に見えないが大きな影響を及ぼしているであろう、宇宙でいうところのブラックマターみたいなものです。「好き」という感情はその大きなベクトルの一つで、対局には「嫌い」がある。

 「嫌い」のケースでは「恨み」とか「呪い」とか便利で判りやすい派生概念があって、それが殺人事件に発展したり呪いの藁人形に結実したりすることに我々は馴れ親しんでおりますが、「好き」のケースだとなかなか具体的な風景が思い浮かびません。浮かびませんが、勿論あります。「恨み」や「呪い」と違っておどろおどろしいインパクトがないので見過ごされがちですが、「好き」の影響力も同じくらい大したものなのです。

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