算命学余話 #G113 「悩みを好機と認識する」
ミドルエイジ・クライシスという言葉があるそうです。40~50代の年齢の人が自分の半生を振り返って、「何も成し遂げたものがない」とか「同級生はこんなに出世して輝いているのに自分は低迷したまま人生を終えそうだ」といった焦りや不安を覚え、鬱などの精神病を患う危険性のことを指すそうです。
ひと昔前にもてはやされたウツは、往時には雨後の筍のようにあちこちに生えて自己主張かまびすしかったですが、最近ではブームが去ってあまり話題にならなくなりました。コロナに人気を奪われたのも一因かもしれません。しかしこの新語「ミドルエイジ・クライシス」の登場で再び脚光を浴びて、自称ウツ専門家たちはもうひと儲けしようとしているようです。こうした金儲けや注目されたい欲求に振り回されるのはいい加減卒業してほしいと、算命学者は世間を冷やかに眺めています。
その上、この新語を取り上げた大手メディアなどは、この年代の悩める男女に対して「悩まないで下さい」と諭し、「悩みなどなかった」方向へ意識を誘導しようとしていました。それがストレス解消の為の最善の処方だと言わんばかりに。私は算命学者の立場から、「なんとまあ安易で役立たずな解決法を宣伝するのだろう。見て見ぬふりを勧めるなんて。せっかく訪れた人生の転機を、もしかしたらこれが最後かもしれないフェイズ・アップのチャンスを、みすみす自ら手放す方向へ人心を誘導するとは、人の人生を台無しにするつもりか」と思い、実に不愉快でした。
算命学の思想に限らず、一般論からしても、人間は死ぬまで成長し続ける生き物なのです。5歳だろうと50歳だろうと100歳だろうと、日々何某かを学んで成長するものなのです。昨日と同じものなど一つもないのですから、毎日新しい何かと遭遇していて、そこから何らかの刺激を受けている。「成長」がいま一つ納得いかなければ「変化」と言い換えても構いません。この世界に変化しないものはない。それが宇宙の法則だというのが算命学の理念ですが、別に算命学を知らなくたって、この道理に異論はないと思います。物理学の世界でさえ、従来最小単位とされた原子がそれより小さい素粒子まで細分化され、その素粒子は「ヒモ」のように絶えず変動していることが知られているのです。昨日も今日も世界が同じに見えている人は、単に目が悪いか、目に映っている「変化」の現実を単に認めたくないかのどちらかです。
せっかく生じた悩みをなかったことにする行為は、悩みの根底にある変化や刺激を拒む行為であり、宇宙の法則に反する行為です。そんなことでは自身の「淘汰」が早まりますし、何より成長できず幼稚なままで人生が終わってしまいます。それでいい人はこの宣伝に乗って、幼稚な人生を堂々巡りに突き進んで下さい。
でも算命学の学習者は五徳の「印」を目指していると思いますから、既に心に生じている悩みを見て見ぬふりなどせず、悩みが生じた意味や原因、その活用について考えを巡らせるでしょう。今回の余話はこうした考察のお話です。鑑定技術にはあまり役立たないかもしれませんが、算命学的思考を日常に活かす手立てにはなる内容です。
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