算命学余話 #R67「虚無の背景を考える」/バックナンバー
米国では、同性婚を祝うためのウェディングケーキを注文したカップルがケーキ屋に断られ、差別を理由に訴えたところ、ケーキ屋が勝訴したそうです。このニュースを聞いたある日本の女装家は、同性婚用ケーキを作ってくれるケーキ屋をもっと探せば済む話だったのにと、至極まっとうな感想を述べていました。皆さんはどうお考えですか。
私は、こういうくだらない訴えをわざわざ起こす米国人は知性が低いと思います。それのみならず、LGBTの問題を声高に訴えたり擁護したりする人々にも白い目を向けています。それは性的多様性に向けた白目ではありません。性的話題に向けた白目です。
LGBTの話題にうんざりしている人は、算命学の見地からも真っ当な人々です。なぜなら、この問題はずばり言うなら「性行為」の話題であり、つまり下ネタの域を出ないからです。だから真っ当な人々、性的話題をパートナーとだけ小声で話すことはあっても人前で話すことには羞恥を感じる人々は、その下品さにウンザリしている。政治問題と同等の扱いであからさまに語られる下ネタに対して、ウンザリしているのです。
私はTOKYO MXの番組「五時に夢中」に出演中の岩井志麻子の下ネタをいつも楽しく視聴していますが、岩井氏がどんなに自分を卑下してエロオバハンと呼ぼうとも、彼女には山本周五郎賞作家としての知性があり、その下ネタも知性によって完璧に制御されています。だから視聴者は安心して聞いていられる。最適の言葉を選んで文章をつづる作家としての技量が、その話術にも発揮されているので、視聴者がウンザリするほどの質と量の下ネタは、少なくとも公共放送の場では披露しないのです。そのシモと知性の絶妙のバランスを視聴者が評価しているから彼女は人気があるのであり、人に不快感を与えず笑いだけを与える下ネタを生放送に放出できるのです。
思わぬ岩井志麻子礼讃になってしまいましたが、この通り、下ネタは本来下品でいやらしいものであり、それを人前で話すことを戒めるのは文化、つまり知性の役目です。岩井氏はたった一人でその両方の役をこなし、しかも最終的に知性を勝たせている。こういうトークは下品から上品への落差が激しいので面白く、しかも知性で制御されているため人に不快感を与えません。岩井氏は紛れもない知性の人なのです。
しかしながら、昨今のLGBTに関わる話題は、冒頭のケーキの話が象徴的なように、知性とはかけ離れています。この事件の知的解決法とは、まさに女装家が提案した「別のケーキ屋を探せばよかった」ことなのですが、それをせずに煩雑な司法に頼ったところに知性の欠如が見えるのです。そして司法に訴えることで些細な出来事を大ごとに仕立て上げたのには、恐らく売名という別の目的が潜んでいます。売名は自己アピール、つまり伝達本能の領域です。
算命学のフィルターをかけると、下ネタは寿の領域、作家としての知性は印の領域ということになります。五行に替えれば寿は火性、印は水性で、両者はいわゆる「水火の激突」という犬猿の仲です。
木火土金水の五行の間は、等しく相生関係と相剋関係によって結ばれていますが、特に「水剋火」の相剋関係が「水火の激突」と呼ばれて特別扱いされているのは、両者が精神世界に属する五行だからです。
これは人体図にすると判りやすいです。頭部が習得本能の領域で水性属、腹部が伝達本能の領域で火性属。双方とも人体図のタテ線つまり精神世界に乗っています。精神世界というのは現実世界と違って無限の可能性と領域がありますから、上部と下部で真っ向から対峙する水性と火性の対立は、無限だという意味で特別扱いされるのです。
ではこの水火の激突はどうにも相容れない間柄なのかといえば、そうではありません。それどころか、両者が折り合えば世界は知恵と伝達を極めて無限に広がります。その一端が、岩井志麻子のトークの例なのです。彼女のトークは下ネタ(火性)を扱いながら知性(水性)で制御されており、そのバランスが絶妙なので他の芸人には真似できない。彼女の巧みな水火の扱いが生んだ新しい境地なのです。水火の激突については、既に余話のU番で推逆局や円推局をテーマに述べたので、詳しくはそちらを再読下さい。
私が主張したかったのは、昨今のLGBTの話題が単なる下ネタに過ぎないにも拘わらず繰り返しニュースとして昼間から延々流され、人種差別(人種差別問題を思い浮かべて下さい。そこに性的シーンはありません)と同等のいっぱしの社会問題、すなわち知的話題かのように扱われていることを、知性を備えた人々が聞き咎めているという事実です。なぜなら彼らは知性に敏感なので、知性から離れた話題や行為に対して本能的に嫌悪感を覚えるからです。
彼らはLGBTの話題に知性を見出してはいない。そこに知性がないことを見抜いている。だからそれが大声で語られている現状にウンザリしているのです。小声で恥ずかしそうに身内にだけ語るのならともかく、耳が汚れる、というわけです。皆さんはこの点について、どの程度賛同されますか。
ところで、ロシアが誇るスピリチュアル世界にアナスタシアという特異な女性がいます。といっても、この女性の存在は『アナスタシア』の著者であるウラジーミル・メグレ氏が1995年に実際にシベリアの奥地で対面したと語っているだけで、他に誰も見た者はなく、半ば現代の伝説とも言うべき人物なのですが、そのシリーズ著作の中で語られるアナスタシアの言動は、本当の豊かさとは何かを見失っている病める現代人の心を揺さぶるものがあります。
興味のある方は本を全編読んで頂くとして、ここでは上述の性的話題を受けて、アナスタシアが提唱する正しい生殖行為について引用してみます。皆さんはここに、性的話題にも拘わらず知的で創造的な、有意義な内容を見出すことができるでしょう。
アナスタシアによれば、世界は「光の勢力」と「闇の勢力」のせめぎ合いであり、科学技術に依存する現代社会は「闇」の領域を広めることに貢献している。これに対抗するため、アナスタシアは自然回帰的な思想を広めることで人々の魂を浄化し、「光」の領域を盛り返そうとしている、という前提で話が進みます。やや一神教的な表現で語られるのは、聞き手であるメグレ氏がキリスト教徒だからです。
――闇の勢力が、男性の中の利己的な肉欲を強化して、神から与えられる恩恵から遠ざけようとしている。闇の勢力は、彼が肉体的な満足のみを考えるように仕向け、その満足は容易に得られると、あらゆる手段で洗脳する。そうやって男性を真実から遠ざけているの。
それを知らず、だまされた哀れな女性たちは、生涯苦しみばかりで過ごす。失ってしまった神からの恩恵を探し求めながら。彼女たちは探す場所を間違えている。
男性の肉欲のみを満足させるため彼に服従する女性は、彼を密通や不倫から遠ざけることはできない。もし二人の関係がそういうものなら、一緒にいても二人は決して幸せになれない。
二人の人生は「一緒」という錯覚、嘘、暗黙のうちに認められた欺瞞であり、彼女はその男性と結婚しているいないにかかわらず、たちどころに娼婦になってしまう。
この偽りの結合を強化するため、人類はどれだけ多くの法律や取り決めを発明してきたと思う? すべて無駄だったわけだけど。そういう取り決めは、人々に演技をさせて、そのような結合が存在するように見せかけることを強いただけだった。人の内面の思いは不変であり、誰にも、そして何ものにも従属しないのに。
偽りの結合ほど恐ろしいものはない。子供たちは結合の不自然さと虚偽を感じとる。そして両親の言うことは何でも疑うようになる。子供たちは受胎の瞬間における嘘まで潜在意識下で感じ取るし、それが子供たちをとても悲しませる。一体誰が単なる肉体的快楽の結果としてこの世に生まれてきたいと思う?
偽りの関係を結んでしまった人は、そのあと密かに本当の満足を探しはじめる。次々に別の体を求めたり、あるいは自分の体を破滅的に用いていく。真実の結合がもたらす恩寵から、自分たちがどんどん離れていっていることを直感的に知りながら。
男女が本当の意味で満たされるために必要なのは、自覚していること。命を生み出すことへのお互いの熱意。その熱意の誠実さと純粋さ。――
少し長い引用になりましたが、この光と闇の話、算命学の陰陽論に通底するものがあります。前回余話#R66では、星の輝き方に陰陽の差があるという話をしましたが、それと合わせて読んで頂ければ、アナスタシアの話もまた類似の話であることが判るかと思います。
尤も、算命学はこのアナスタシアの主張ほどには、正しい生殖行為について明言しておりません。明言しておりませんので、今回の余話は、水火の激突にからめた生殖と知性の関係性について思考を展開してみます。
これまでの余話で、既に何度か印(知性)を擁護する内容を書き記しました。それは、私もまた現代人の病の中に知性の欠如、今風に言えば「反知性主義」といって差し支えない要素が、まるで社会のシステムのように組み込まれて容易に取り除けなくなっている事態を懸念したからです。
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