算命学余話 #G35 「家系の因縁の処理」/バックナンバー
前回の余話#G34では、他の十干にはない癸水の特性について触れました。しかしこの特性を曲解して「癸水生まれは誰でもこうだ」と思われては困るので、今回の余話はこうした曲解を防ぐべく、説明を補強する内容と致します。そもそも、癸水日が十日に一度巡って来ることを考えれば、単純計算して癸水は十人に一人です。こんなにウヨウヨいる癸水が全員同じ方向を向いて人生を歩むはずがありません。
毎度くどいようですが、常識的に考えて成立しない考えは、躊躇なく捨てて下さい。算命学自身も、「こういう宿命は必ずこうなる」とはひと言も言ってはいないのです。算命学が論じるのは、あくまで可能性の大小と、「宿命に書かれたボタンが実生活でいくつ押された場合にこうなる」という予測だけです。それも、自然界の法則に沿って導き出された予測です。自然界の法則から見て、家系を終息させたり、自然死でない死に方をするとは、それ相応の意味や原因があるのです。それはどういうことなのか。癸水生まれに限らず、他の十干にも関わる話として、その辺りを自然界の整合性と合わせて考えてみます。
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