算命学余話 #R53「守護神#10 丙×夏」/バックナンバー
ハエにもせっかちなハエとのんびりなハエがいて、この性質で分けたグループと両者を混ぜたグループとでは、混ぜたグループの方が全体的に元気という研究結果が出ているそうです。原因は、せっかちとのんびりでは餌を取りに行くスピードが違うため、タイムラグが生じて獲物を奪い合わず、結果的に後から遅れてやって来るのんびり達も食いはぐれないということらしいです。なるほど。
昆虫の世界では、例えば鈴虫がオスばかりの籠に押し込められると共食いすることが知られています。私はこの話を聞くといつも軍隊を思い起こします。近代以前の戦争では槍や刀で大らかに戦っていたため体力の劣る女性は出番がなく、そのままの習慣で近代に突入したけれども、機関銃や戦車の時代になると通信や衛星といった武力以外の機能も戦争に欠かせなくなり、長引く大戦の影響による人手不足も後押しして、通信等に携わる女性兵士や軍属が現れるようになった。すると男ばかりだった殺伐とした世界に急に女が混じることで、近代戦の強いストレスにより精神に異常を来たす兵士の数が減ったというのです。大量破壊が可能になった近代の戦場という非道な環境にどっぷり浸かった男性が、突如として非武装の女性に接することで、平時の日常を思い出して心のバランスや分別を取り戻すからなのでしょう。人間も鈴虫も大差ないというわけです。
冒頭のハエの話は、算命学の陰陽五行説の思想からして当然のものです。現代人のストレスの根本は、均一化した社会が人々を同じ目標に向かって突進させることにより、せっかちが勝ってのんびりが負けるという図式が定着し、この図式から逃れられないことによる閉塞感や社会膠着にあるというのが、算命学的視点から導き出される結論です。
自然界の住人である人間は万物と同様、五行に振り分けられているため、五方向へそれぞれ目標を定めて進んで行けば、たった一つの獲物を全員で奪い合うという図式にはならないはずなのです。もちろん世界を五分の一に分けたところで、それぞれの五行内での競争はありますが、その中であってもたった一つの目標に全員が執着する必要はありません。目標はまず陰陽で二つに分かれますし、更に陰の中に陰と陽が、陽の中に陰と陽が分かれ、更にその中にも陰陽が、というように果てしなく細分化し、その多様性こそがこの世の姿なのです。その細分化の数が、世界人口を下回ることはありません。
今の社会は多様性を掲げながら、実際にやっていたり奨励したりしているのは単一化なので、辻褄が合わないし、そもそも単一化自体が自然の法則に即していない。その不自然さや非整合性が人々にストレスを与えているのです。
昨今は格差問題がよく議論されていますが、格差をなくすために例えば金持ちから税金を沢山取って貧乏人に分配するという政策は、算命学的には決定打とは言えません。なぜなら経済つまり金銭問題は五行のうちの禄だけの問題であって、他の福寿官印が考慮されていないからです。
禄という五分の一の限られた世界の中でパイをぐるぐる回しても、大した変化は期待できません。そうではなくて、いっそ禄を他の五行とトレードするような方策の方がより効果がある。
再三申し上げているように現代社会は禄に偏りすぎた社会なので、人間生活の価値基準をもっと他の五行にシフトしていくよう誘導できれば、禄の極端な偏りや格差も自然に解消される。実際に、裕福になることよりも健康が大事な人とか、文化的活動が大事な人とか、いろいろいるわけです。そういう人たちに単一化された禄の価値基準を押し付けて一律に分配を試みても、彼らは大して嬉しくないし幸せにも感じない。彼らの要求は別の所にあるのです。
政治家はこの辺りが判っていないように思われます。人間は多様であり、ざっくり分けても価値基準は五通りあるのです。これがあたかも一通りしかないかのように錯覚したまま政治を行うから、いつまでたっても社会の不満が解消しない。算命学の理論としてはこのように考えています。
算命学で社会問題を論じるといろいろなものが見えてきますので、学習者の方には鑑定技法のみならず、この世の諸問題について解決策を探る手段としての算命学の活用も是非お試し下さい。
今回の余話は守護神の10回目、夏生まれの丙火についてです。前回の守護神#9に出てきた「重殺軽身」に類する命式に触れ、なぜ丙火にこのような性質が付与されやすいのか論じてみます。
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