お気に入りのあの場所で「ふふふ」と笑うわたしたちは、神様の、周りの大人たちからの愛情に、やさしく包み込まれていた。-アドベント1週目-
クリスマスを家族で、教会というファミリーと共に過ごした経験のある人は、この日本にどれだけいるのだろうか。
我が家はクリスチャンホーム(家族にキリスト教徒がいて物心つく前から教会に通っている人たち)どころか、三親等内にクリスチャンは一人もいないのだけれども、なぜか三姉妹全員がミッション系の幼稚園を出ている。それは母の「感謝できる人になってほしい。でも、感謝とは目に見えないものだから教えるのは難しい。そうだ!ミッション系の幼稚園に通えば、神様ありがとうと祈ることで多少理解することができるのでは」という考えが、決め手だったらしい。
転勤族だったから三姉妹全員が同じ幼稚園を卒園したわけではないけれど、三姉妹全員がプロテスタントのミッション系幼稚園を出ている。ちなみにカトリックはマリア様に、プロテスタントはイエス様に見守られて生活しているんだろうと勝手に解釈している。
とにもかくにも、中学の初めくらいまでわたしは「天にまします我らの父よ。願わくば、御名をあがめさせたまえ……」から始まる主の祈りを空で言える程度には割と熱心に、教会学校にも通っていた。
中学に入るタイミングで引っ越しがあって、新しく通い始めた教会にそんなに馴染めなかったこと、部活が忙しくなったこと……そんな諸々が重なって結局通うことはなくなった。並行して曽祖母に連れられて菩提寺にも通っていたし、学生時代には神社で巫女の助勤も経験して、わたしはいろんな神様に守られて生きているんだろうなと、どれかの宗教を選ぶことなく、季節が巡りゆく中で、各々の神様を思い出しては感謝する。
たとえば日曜日。特に第一日曜日なんかは、鼻歌まじりに讃美歌を口ずさんでは、相変わらず身近な人を赦し、わたしのことを赦して生きていけたらいいな、なんてことを節々で思ったりするくらいのものだけれども。
今日は、11月の最終週の日曜日。12月24日までのこの一ヶ月は、アドベント。アドベントは、ラテン語の「Adventus(アドベントゥス)」から来ていて、「到来」を意味する言葉。つまり、キリストの到来のことをさしているそうだ。
この時期は、幼いながらにも一年で一番大切な時期なんだな…と生活のあちこちで感じていた。幼稚園では降誕劇の練習が始まり、毎週日曜日の礼拝では4本ある大きな蝋燭に一本ずつ火を灯して、その日を待ちわびた。そしてクリスマス当日、イエス・キリストの誕生を教会のみんなでお祝いした。
クリスマス礼拝一番の盛り上がりは、教会の附属幼稚園の園児たちによる降誕劇の発表。特にわたしたちは自分の妹たちがその降誕劇に出演することもあって、ソワソワドキドキ。
それぞれお気に入りの場所で、劇を眺めるのが通例。ちなみにわたしは礼拝堂の2階にある小部屋が好きで、そこから同じ教会学校に通う友達と観劇をした。階段が急で危ないからとわたしたちはなかなか入れてもらえないその部屋も、クリスマスの夜はたくさんの人たちに紛れてこっそり忍び込めるのだ。
降誕劇の内容は
ある日、マリア様の元に天使のガブリエルがやってきて「あなたのお腹には、神の子イエスがいます。ベツレヘムに向かいなさい」そう言われて、夫ヨセフとラクダに乗ってベツレヘムに向かう。その地についても泊まれる宿屋がなく、なんとか宿屋の馬小屋でイエスを産むと、空に大きな星が輝いて、その星を目指して羊飼いや学者、みんながお祝いにやってくる。
そんなお話。
毎年同じストーリー、同じ衣装、同じ歌。わたしたちのやってきたことを、かわいい妹たちが懸命に演じる姿はとても愛らしい。そして誰もが通ってきた道だからこそ、懐かしい思い出いっぱいになりながらその劇を見守る。
劇が終わると、頑張った幼児たちのもとにサンタさんがやってきて、一人一人にプレゼントを渡すサプライズ付き。わたしたち小学生は「〇〇先生だね。ふふふ。」なんて言いながら顔を見合わせる。
すると「2階のお姉ちゃんたちも降りてらっしゃい」と教会学校の先生たちからお声がかかる。わたしたちの悪巧みは、すべてみんなのお見通し。それでも、みんなが待ちわびた大切な日は、お咎めなしにお相伴に預かってプレゼントまでもらえちゃう。
さっきまでは「〇〇先生だよねー。気づかないでもらってる、△△ちゃんかわいいー♡」なんて言ってお姉ちゃんぶっていたけれど、いざ自分たちがプレゼントをもらうとなるとちょっぴり緊張する。
先生も、幼稚園のママも、みんながニコニコとわたしたちが降りてくる様子を見つめる。今思えば、妹たちの劇を見守るわたしたちと、2階からバツの悪いようなでも気恥ずかしく嬉しく浮かれて降りてくるわたしたちを見守る大人たちは、たぶん同じような気持ちをしていたんだろうな、なんて思う。
そんなウキウキした気持ちの中、小学生向けの説教がはじまり、牧師先生の話に移り、みんなで讃美歌を歌って、持ち寄ったご馳走を食べる。
すると、教会学校の先生たちがやってきて「わたしたちも、あの小部屋が大好きだったのよ。今日はクリスマスだから、特別にゆるしてあげるわ。メリークリスマス」なんて言いながらケーキを頬張っている。
大人たちがわいわいと歓談するなか、わたしたちは手持ちのお菓子をいくつか握りしめてあの小部屋に駆ける。そして、クリスマス、さいこう。来年も、ここで一緒に劇を見ようね。と誓い合った。
わたしたちの思い出の教会は、その数年後に建て替えられてしまって、今はもう危なくて急な階段はない。でも、街中がキラキラと輝くこの季節、アドベントがやってくるたびに、キャンドルの灯りに包まれた教会の二階にあったあの小部屋で友達と顔を見合わせてふふふと笑ったあの夜を思い出す。
みんな、元気にしているかしら。