2021.0325 桜始開(さくらはじめてひらく)
年度末に向けてのドタバタをひと山越えて、次のバタバタまでほんのちょぴっと気持ちに余裕ができたある日の昼下がり。
「ねぇ、会おうよ」なんてお誘いをいただいたもんだから、えいっと数時間休暇を取っていそいそと職場を出た次の瞬間、そのメッセージは届いた。
ごめん。今入っているミーティングが、長引きそう。
なんだよおう……。
この数ヶ月で、ネット環境さえ調えば自宅であろうがカフェであろうが、いつ・どこででもミーティングに参加できるようになったこの世界。
便利なことも増えたけれど、時間にルーズになったり急なミーティングが入ったりと、わたしたちのスキマジカンをひょいと取り上げられてしまうこともまた増えてきたんじゃないかな、なんてことも思ってしまったり。それでも、
しょうがないねぇ。
ふらふらして待ってるよー。
と返信してふと空を見上げる。すると、桜の花びらが、ふわっと目の前にあったチューリップに舞い落ちた。
せっかく休暇を取ったんだし、桜を見に行こう
そう思い立ったが吉日。待ち合わせ予定だった駅のひとつ前で地下鉄を降りて訪れたのは、花園神社。
小さい頃、出張の多かった祖母が東京に行くたびに買ってきてくれた花園万頭のいわれとなった神社。梅や桜の季節になると、生前の祖母を思い出してつい足を運んでしまうその場所に、ふらりと立ち寄った。
ちょうど大学の卒業式シーズンだったようで、地下鉄の車内でも神社でも学位記を抱き締めた袴姿の卒業生の姿がちらほらと見えた。
桜の季節は、急に強い雨が降ることが多いような気がする。蕾から花が開くまで、じっと辛抱強く待ち続けるのに、あっけなく散ってしまうから、ちょっぴりこわい。
それでも毎年、ニュースで「桜が開花した」と目にすると東へ西へと桜を追いかけてしまうんだから不思議なものだなぁと思う。日本人は「桜を心に抱いて生きている民族」だなんて言われているらしいけれども、きっとその通りなんだろうとしみじみ感じるのです。
そんなことを考えながら、名高いけれどもビル街の中にひっそりと佇む境内を、ゆっくりと歩きながらとカメラのファインダー越しに花を眺めてはシャッターを切り、また自分の目でじっと桜を眺める。
気付いたら
そろそろミーティング終わるよ。
どこに向かえばいい?
なんてメッセージがやってきていて、大慌てで待ち合わせに向かう羽目に。それでも時計の針は、いつも職場を出る時間よりもちょっぴり早いくらいのタイミング。
会食もまだまだ厳しいこのご時世。マスクをしながらの会話では聞き取りにも限界があるし、うちに来てもらおうと週末のうちにプリンを作っていたんだよな。
なんてことを考えていると、待ち合わせがオンラインのせいで遅くなっちゃったことも気にならないで、なんならちょっぴりニヤッとしちゃうんだからすごい。楽しみはいくつあってもいいものだと思う。
ついでにコーヒーでも淹れようかな。週末の間に新しいお豆を買っておいたわたしも、本当に優秀だった。
甘いプリンとペーパーの中でふわっと膨らむコーヒーを思い浮かべたら、もうマスクでは隠し切れないくらいにニヤけてきてしまった。そのまま待ち合わせ場所まで、小さくスキップした。
そんな年度末。