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ホンモノにふれて、もがいて生きる
「いただきます」
ご飯を食べるとき、こう言って手を合わせる。ご飯一粒一粒、作物を作ってくれたお百姓さんに、感謝を込めて。
どこかで読んだ本によると、この考え方は、日本独特の考え方らしい。
海外にももちろん「いただきます」はあるけれど、それは自分の信仰する神様そのものに対して言っているらしい。
茶碗にお米が一粒でも残っていると「お百姓さんが泣いちゃうよ」とたしなめられて育った子どもの頃をふと思い出す。
ふふふ。
やっぱりわたしは、日本人なんだなぁ。なんて感じながら。
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学生生活最後の春休み
わたしは、中米のパナマへ
初めての海外までひとり旅を経験した。
なんでパナマ?
理由はない。
強いて言えば
好きな人がパナマで働いていて「遊びにおいで」と言われたから。
あ。これも十分な理由。か。
にやにや。
海外なんて、高校の修学旅行で
マレーシアとシンガポールに行ったきり。
大学入学後に手話を覚えはじめたわたしにとって、異文化といえば、新しく覚えはじめた手話や盲ろうの世界。
確かに、海外への憧れがなかったかといえば嘘になるけれど、わたしにはその新しい文化に馴染んでいくだけでいっぱいいっぱいだった。
でも、好きな人に会えるなら行っちゃうでしょう。パナマ。
実質はじめての海外。
とにかく前に歩くだけで必死だった。
「お腹いっぱいって顔してるよ。」「水、飲む?」
って言ってくれる人が横にいたからなんとか日本に帰国した。でも、もしいなかったら、たぶん容量オーバーなくらい食べて気持ち悪くなってたし、脱水で倒れていたと思う。
自分がいまどんな状況にあるのか(どこにいて、なにを決めなきゃいけなくて、なにを欲しているのか)わかったのは、たぶん帰国前2日間くらい。
話しかけられても日本語だって明瞭にきき取れないんだから、パナマ訛りのスペイン語なんてもってのほか。iPhone片手に田舎の村を歩き回る。村人に話しかけられるたびにジェスチャーできこえないことを説明し、Google翻訳を使って会話をした。
思いの外、通じる。
楽しい。
調子に乗って、帰りの飛行機ではスペイン語でギャレーの軽食をもらったり日本への入国カードをもらったり。
ちょっと、楽しいかも。
なんて、おっかなびっくりな海外体験をしてきたのです。
旅という非日常の中で、海外というホンモノに触れて視野が広がって、自分の限界の境界線の位置がちょっぴり変わった。それは、意味のあることなんじゃないかってなんとなく思う。なにが変わるかなんて、まだまだわからないけど今すぐじゃなくてもいい。
日常に戻って、明日街中で外国人と出会っても、わたしは筆談をしようと試みることは多分ないし、猛烈にスペイン語を勉強するわけでもないと思う。
でも、読み書きはきこえなくてもできる。そうやってもがいて生きる時間を知った。
明日からも、いつも通りの日常が続いていく。
でも、日本にいてもわたしの周りには盲の友達だったり聾の友達だったり盲ろうの先輩だったりと触れ合う機会があるんだからわざわざ海外に行って異文化に触れなくたって良いだろうなんて思ってはいない。
なんなら、ピアスやタトゥーもかっこよくみえちゃったりしているのです。
実際は、穴をあけるのがこわくってイヤリングしか付けられないのだけれど。
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