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歩きながらボクが考えたこと

ストイックさについて

あれはたしか小学生の時だと思う。ボクが通っていた小学校は陸上が盛んだった。全国大会に出ていた先輩もいたほどだった。

全国大会を経験した先生が残っていたことで練習はハードだった。勝つための”必勝レシピ”みたいなものが出来上がっていて、ボクらもそれに従って走っていた。実績を残したレシピの効果は大きく、数年ぶりに入賞した駅伝をはじめ様々な種目で好成績をおさめた。

結果を残すにはそれ相応のトレーニングが必要で、ボクは疲労骨折を起こしてしまった。陸上部の練習以外にも個人的に朝ひとりで校庭を黙々と走っていたことで、オーバートレーニングになってしまったのだろう。

順位を争う競争は嫌いだったけど走るのは好きで、いつまでもどこまでも走っていたかった。走って褒められることも多かったので、味をしめていたのかもしれない。とにかく走って走って走りまくった。

駅伝ではキャプテンに指名された。でも、疲労骨折をしたことで走れない時期が続いた。エースでキャプテンのボクの調子が上がらないことに先生は苛立ったのだろう。

「一日休むと、取り返すのに3、4日かかるぞ」

そんなことを言われた記憶がある。怪我をしているのに……と思ったけど、当時は純粋だったので取り戻さないと、と焦った。焦るけど、走ると痛い。なんとか大会には間に合い結果も出たけど、あのコトバは今も脳裏にこびりついている。

それが影響しているのかはわからない。でも、運動をはじめたり、ジムに通いだしたりして、体調が優れなくても無理して続けてしまうのは、恐らく休むと取り戻すまでに時間とパワーを要するとの思いが消えていないからだろう。

モノゴトを俯瞰で見る

『プロフェッショナル』の本木雅弘さんを見た後では、ストイックとは到底言えないけれども、自分の追い込み方、自分に対する厳しさには似たモノがあるような気がする。生真面目というか。アスリートでもないのに、休むことへの罪悪感を抱いてしまうのだ。

だから、運動や散歩ができない日があると、「嗚呼リセットされてしまった」「積み上げてきたモノがゼロになってしまった」と悲観的になってしまう。そんなことはないのに。そこに息苦しさを感じる。

最近、いろいろな方と話していて、「俯瞰」というコトバがどうやら今のボクが生きる上でキーワードになることが分かって来た。直面した状況をどう捉えるか。たとえば運動ならば、一日休んだことをマイナスに感じるか。長期的に見れば怪我をしなかったのでプラスだったと捉えるか。

一歩引いて客観的に見てみる。そのトレーニングを自分に課している。これが上手くできれば感情がコントロールできるようになるし、息苦しさも和らぐはずだ。生真面目になりすぎない程度に、クセを、考え方のフォームを身に付けたい。

おもいのままに。続けます。今日も呼吸ができた。ありがとう!


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