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ペンと旅【山形編】

旅について

旅に出たくなった。人間は制限がかかると、途端に制限されたものが恋しくなる生き物だ。外出自粛の今、ボクは旅への思いが強くなっている。

ボクの旅。それは、いつもペンとフットボールと一緒だった。旅をしたいと言いながらも、基本的には出不精。面倒くさい性格だと思う。

フットボールが仕事になり、チーム遠征に帯同して全国各地を飛び回れたのは、いまにして思えばラッキーだったと思う。

旅に出られない今だからこそ、おうち時間で旅を振り返ってみたい。

【山形編】

再訪したくなるのは”薄味”だから

山形といえば、ウド鈴木とダニエル・カール。後々になって知ったのは、ボクの好きなMr.childrenのボールカリスト・桜井和寿さんの別荘が鶴岡市にあったということ。

鶴岡には年始に新婚旅行で訪れたけど、加茂水族館とスイデンテラスがメインだったので、桜井さんの別荘があったことは忘れていた。気が付いたのは帰路。時すでに遅しだった。探してみたかった。

山形にはオトナになってからも、こどもだった時も、なぜか何度も訪れている。ここでのオトナとこどもは、社会に出る前と、社会に出た後と定義づけたい。

インドが一転、米沢牛に

大学時代、つまりこどもの頃に訪れたのは山形市と米沢市。友人とインドに行くはずが諸々あって、東北を青春18きっぷを利用して回ることになった。

旅のしおりを作ることなく、2人の気分を優先した旅だった。山形駅に降り立った時もどこに行くか、何をするか決まっていなかった。学生のノリだ。

当時はスマホなどなく、とりあえず交番のおまわりさんに観光名所を聞いてみた。今にして思えば観光案内所を利用しなかったことが不思議で仕方ない。

山形市で覚えているのは、駅前のドコモビル、歩いた城跡に人がいなかったこと、そしておまわりさんの山形なまり。なまりは誇張されることが多いけど、あのおまわりさんは本当にダニエルカールがしゃべていた通りだった。だから、ボクたちはあまり内容が理解できなかったと記憶している。

貧乏学生、奮発する

山形市に後ろ髪をひかれることなく、次に向かったのは米沢市。もちろん、目的は米沢牛を食べること。その前に宿探し。貧乏学生が泊まれそうな宿に飛び込んだ。最初こそ怪しまれたけど、なんとか泊まることができた。

その宿の方に、安くてボリュームがあって美味しい米沢牛が食べられるお店を聞いた。しかもチェーン店ではないお店を。紹介されたお店は宿から数分のところにあった、昔ながらの洋食屋さんといった雰囲気のお店だった。

時間帯が早かったのか、観光客が少ない時期だったのか、お店にはボクたち二人だけだった。メニューを見るとボクらでも払えるモノが並んでいた。ボクも友人も同じ、5000円の米沢牛を頼んだ。

ボクは美食家ではないので舌の記憶はないけど、恐らく値段相応に美味しかったはず。ボリュームもそこそこ。でも、学生で5000円は奮発したものだ。学生のノリは恐ろしい。

山居倉庫よりも海の幸

ライターになってからは酒田市と天童市にお邪魔した。酒田市は2年連続で、秋田・仁賀保に向かう際に前泊した。2年連続して同じ駅前のホテルに泊まり、同じ寿司屋さんで先輩にご馳走になった。

舌の記憶が薄いとはいえ、海なし県に住んでいたボクにとって、酒田で味わったお寿司は極上だった。これだけは吉永小百合さんがCMで使った山居倉庫よりも印象に残っている。鮮度とネタの厚みは忘れられない。

酒田市は”まちあるきのスペシャリスト”野内隆裕さん曰く、まちのつくりが新潟市と似ているらしい。今度はゆっくり歩いてみたいし、土門拳記念館にも行ってみたい。もちろん、あのお寿司屋さんにも。

薄味でちょうどいい山形

Jリーグに参入してからは、将棋のまち・天童に行った。スタジアムは電波環境が悪くて仕事が進まずにイライラ、試合は圧倒されて敗戦、ホテルの周辺には飲み屋がなくコンビニでビールとつまみを買ってホテル飲みで憂さ晴らし。山形市に泊まれば良かったと後悔した。新幹線が在来線の線路を使っていて、その景色が新鮮だったのは良かったけれども。

他の都市よりも各地に足を運んでいる山形。その印象は薄かったけれども、ようやく今年のはじめに鶴岡市を訪れたことで濃くなってきた。

事態が落ち着いたらスイデンテラスに宿泊して支援したいし、酒田市が新潟市と似ているところも確かめたい。強いインパクトがないからこそ、また行きたくなる。それが、ボクにとっての山形なのかもしれない。

おもいのままに。続けます。今日も呼吸ができた。ありがとう!

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