目の前にいる、いつかのボク
どんな意味なのだろう
いつかのボクが、今、目の前にいる。あ、変な話ではないです。
仕事を頑張っているつもりが、つもりでしかなくて、とにかく不快さを周囲にばら撒く人。似ている。
やることがなく、やっているフリをしているけれども、時間を持て余している人。酷似している。
いずれも、過去のボクだ。周囲の人たちに苛立っている。もちろん、苛立つような行動をしているからなのだけれども、深いところを見てみると昔のボクだからのような気がしてならない。
思い当たる節があり過ぎる。そうそう、と思うたびに凹むが、当時の周囲が否定的にボクを見ていたかは分からない。妄想でしかない部分もある。
苛立つ人ではなく、過去のふがいなかったであろう自分への自己否定が出ているのかもしれない。自己否定する必要なんてないのに。だって、当時はそれが100%で、めちゃくちゃ頑張っていたから。頑張り方には少し問題があったからかもしれないが。
結局、人に苛立つのは、相手に問題があるのではなく、自分自身の心持ちなのだと気が付く。自分に余裕があれば問題ない。ここ数カ月を振り返ってみると、仕事は充実していたが、いつもの「やっちゃう、やれちゃう、すぐできちゃう」のスタンスで、他の人ならばオーバーワーク気味に働いていた。
受けられる仕事は受ける。それは頼られている。そう、承認欲求、孤独がだだ漏れしていた。それほど仕事を受けなくても十分に慌ただしいのに。
自分が自分を追い込み、相手に対して負の感情を持つ。あまり好ましいとは思わない。そんな時に限って、他人から対象者を揶揄するような誘い言葉が投げかけられる。それに応じてしまうか、あるいは知らんぷりできるか。ここ数カ月は過剰に反応していた。好ましくはない。
最終的には味わうしかないよね。呼吸の回数が朝だけになっているせいかもしれない。そこを味わい切ると、もっと孤独が癒されていき、もっと人生が良くなり、回転していくと思っているんだよね。
だから、パリ五輪でついつい呼吸を忘れがちになるけれども、忘れずに寝る前の数分なのだから、しっかり呼吸したい。呼吸すると寝付きも良くて、寝起きもスッキリするんだよね。ここ数日は夜更かししているのもあるけれども、体がガチガチのような気もしている。緩めるしかないのだ。
きっと、今、過去の自分が目の前に表れているのは、孤独を味わい尽くすチャンスなのだと思う。本当にボクは孤独が深い。深すぎて味わい尽くせるのか自信がなくなることもあるけれども、継続的にやっていくしかないのだからやる。
定期的に、やるやる詐欺を働いているが、気が付かないよりは気が付いてる方がいいとポジティブに捉えて、また今日からお稽古に励むのみだ。
おもいのままに。続けます。今日も呼吸ができた。ありがとう!
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