#ゴールに向かい、歩く覚悟
成人した、二十歳のライターとしての決意
あの、京王線北野駅、啓文堂書店の感動を忘れない。いや、忘れてはいけない。
20年前の今日、開店と同時に飛び込み、スポーツコーナーに平積みされた雑誌『VS.』。ライターデビュー作が掲載された本を手にした時、じんわりと体が温かくなり、涙で目が滲んだ。
拍子抜けするほどに、あっさりと世に出ることはできたけれども、その後の暗中模索期間での苦しさ、悔しさ、惨めさ。もう二度と味わいたくはないけれども、「あの頃があったからこそ今がある」と、ようやくここ数年で思えるようになった。
苦しい時はネガティブになりがちで、普通に就職していればそれなりに安泰していたのに……と自分で自分を責めて恨んだこともあったけど、なんとか20年、筆一本だけでライターとして生きてこられたことは誇らしく思う。
成人は18歳に引き下げられたけど、僕等の世代で言えば二十歳で大人。ようやく数多いるライターの諸先輩方の、最後尾に並ばせてもらえたように思う。
一時は書くことに行き詰まり体調を崩して絶望の淵に落ち、誤った判断を仕掛けた時もあった。心無い言葉に傷つき「向いていないのではないか」と看板を降ろすことも考えた。
でも、やっぱり、書いて生きていきたいと決意を固めた。そのフラフラと、あれがいい、あっちもいい、こっちでも生きて行けるな、と迷い続けた日々も、今は糧となっている。
転職を何度も繰り返したけれど、さまざまな場所で、いろいろな事を身に着けたことでスペシャリストであり、ジェネラリストとしても活躍できている。転職はいまだに負のイメージが伴うけど、ボクにとってはキャリアアップになっている。いまではキャリアホッパーというそうだ。
20年という歳月、良いことも悪いこともあったけど、繰り返しになるが、やっぱり書くことは楽しい。充実感を得られる。仕事が遊び。遊びが仕事。まさに、そんな思いで今は満たされた日々を送っている。
ひっきりなしに仕事が来ることを、下を向いていた環境下では苦痛に感じていたが、前を向いてしっかりと歩けている今は、受けられるだけ仕事を受けるし、受けることにまったく苦痛を感じることがない。
昨年、20年ぶりに再会した師匠・藤島大に「会社に所属しながらコピーを書けるなんて幸せだぞ」と言われたが、本当にそうなのである。仕事を取ってきてくれる営業さん、一緒に仕事をしている課の仲間、こちらの思いをカタチにしてくれるデザイナーさんなど、恵まれた人たちと力を発揮しやすい環境で自分ができることをフルにできている。
周囲に感謝をしつつ、ここまで歩みを止めることなく、自分の足でしっかりと進んでこられたことを、今日くらいは褒めてやりたい。キャリアを積んだからといって文章スキルが上がるわけでなく、日々の悩みは尽きない。経験値でカバーしようと思えば、それは小手先の、思いの無いものになってしまう。
全てに全力!と言いたいが、調子に乗れない時もある。コンペに負ければ、気分はどん底だ。勝ちたいし、稼ぎたいし、評価もされたい。ならば、書き続けて、自分を高めていくしかない。
ゴールに向かい、と書いたけれども、この仕事にゴールはない。いつまでも1年生で、いつもルーキーのつもりでいる。怯むことも、冷や汗をかくこともある。一見クールに振る舞っていても、実は脇汗をかいていたりもする。
ゴールがないのがゴール、なんてカッコつけたことを後輩に言ったことがあるけれども、本心でもある。正解はないし、誰もが心地よく読める文章、万人に刺さるコピーはない。それでも、いただいた仕事を精一杯、力の限りやるしかない。
情熱の灯が消えなければ、きっとこの仕事はいつまでも続けられる。冗談で75歳までは現役と言ったこともあるけれど、本音は生涯現役だ。師匠を超えたいという思いもあるが、何をもってして超えたことになるのか。露出か、タイトルか、知名度か。それは周りの判断で、ボクのジャッジではない。つまり、ボクがボクで決めるしかない。
ずっと超えたことにしなければゴールしたことにはならない。終わりがない。飽きることも、同じことの繰り返しもないので単調ではないけど、逆に言えば平坦でもない。険しい道を選んだと思う。でも、自分が選んだ以上は、とにかく突き進んでいくしかない。
もうよそ見はしない。書くことを突きつめていく。その覚悟は決まった。県内のコピーを全部書く、という野望も持った。経験値を広く還元したいという思いもある。やりたいこと、やらなければならないこと、やるべきことが、まだまだたくさんある。
絶望の淵を覗いたからこそ伝えられることも、感じられることもある。全ての経験を生かしながら、そこに甘んじることなく、明日からもまた書き続けて生きたい。終わりのない旅が、また始まるのだ。
おもいのままに。続けます。今日も呼吸ができた。ありがとう!