ないものへの羨望
「自分にないモノを持っている人」。結婚の決め手で、よく聞く理由だ。
ふんっ!と好きな女優さん、タレントさん、アーティストがそんなことを言ったら悔しくて鼻で笑うが、いざ自分の身に置き換えると憧れの強いものに惹かれていることが分かる。プロレス、歌手への憧れは人一倍強い。
プロレス。強さへの憧れは、果てしない。自分より体格に勝る相手をなぎ倒す、投げまくる、下から極める。痛快で仕方がない。カタルシスが味わえる。
自分に置き換えてムーンサルトプレスができれば、ジャーマンスープレックスホールドができればと思い描くが、葬送のフリーレンがイメージできないことを魔法にできないように、自分が相手を負かす姿は浮かばない。だからこそ、憧れが増していく。
歌手。とにかく、どう頑張っても音程が取れない。「パパ、新しい歌うたってんの?」と我が子に言われるが、ボクはトレンドの曲を真剣に歌っているだけだ。
歌はプロレスよりも日常寄りで、イメージしやすい。ライブハウスで、コンサート会場で、歌っている姿がイメージはできる。でも、具現化はできない。
ギターもベースも弾けそうにない。ドラムも叩けそうにない。フロントマンとしてお客さんを煽ることもできそうにない。
自分ができないから、わざわざお金を払って足を運ぶ。最近はなにかと忙しくLIVE活動ができていなかった。LIVE情報まで自分でたどり着けなかったのだ。何かが欠落した日々を過ごしていた。
足りない要素を認識しながら過ごした日々は味気なく、だから先日の竹原ピストルのLIVEは染みた。30曲を、まさに熱唱。
声の限り歌うスタイルが好きだ。それもバンドなしの一人弾き語り。
魂がびんびんにつたわってくる。胸ではなく腹に響く音と声は、たとえ何度も歌詞を間違えても突き刺さってくる。
言葉選びも、実は秀逸だ。理解不能の歌詞を書く歌手もいるが(それはそれで自分が理解できればいいので否定はしない)、竹原ピストルは初見でもなんとなく言いたいこと、伝えたいことが理解できる。シンプルと言われればそれまでだが、ストレートな歌手は浸透速度が速い。
若い頃はとにかく難しい言葉を使い、理解できないのは読者が悪いと思っていたけど、ライターとして経験を重ねるととんでもない驕りだったことが分かる。シンプルで分かりやすい言葉ほど強いものはない。
プロレスはエンターテインメント。いかに相手を輝かせるか。ベビーフェイスでも、漫画やアニメのヒーローのように傷を負わないわけではない。無双ではなく、例えば橋本真也のように期待を裏切りながらも支持を得るレスラーもいる。筋書きがある程度は分かっていながら、それでも観客を楽しませてしまうところが圧倒的に凄いと思う。
憧れはジェラシーに変わることもあるけど、対象が圧倒的だとそんな気すら起こらない。見ていて幸せ、聞いていて幸せ。もしかすると押し活ってそういうことなのか?よく分からないけど。
おもいのままに。続けます。今日も呼吸ができました。ありがとう!