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作文のタイトルは『作文』というあまりにも突飛な発想
義母への愛について
人に言われて初めて「ハッ!」とすることがありますよね。
「俺なら恥ずかしくてできないよ」
数年前、実弟に言われてました。文章を世に出すことは人に告白することと等しい行為らしく、だから彼にとってボクが文章を生業にしていることが不思議で仕方がないようでした。
そう言われて初めて恥部をさらしながら生きているのかと思ったのですが、いまだにこうして書いているということは、ボクにはそれほど恥ずかしいことではないのでしょうね。ちょっと頭の回路が変なのかも……と薄々、気が付いているのですが気にしないようにしています。
チャーミングな義母の武勇伝
こんなこともありました。妻のお母さん、ボクにとって義母は学校の勉強が嫌いだったらしく、なかでも国語の授業は嫌で嫌で仕方がなかったそうです。ボクも文章で禄を食んでいますが、学校の授業で5段階評価の5をもらった記憶は少ないですね。蛇足ですが、泉谷しげるさんも音楽の成績は良くなかったとか。
以前、住んでいた宇都宮に妻の実家から配給が届く際に手紙が添えてあったのですが、確かに箇条書きに近いモノだったような気がします。特に文末がユニークで「○○してくれ!」と書かれていることが多く、例えば「早く食べてくれ」みたいに。手紙を読んでは妻とともにほっこりしていました。
そんなチャーミングな義母。あまりにも国語の授業で出された課題の作文が嫌だったらしく、「あたしは『作文』というタイトルで、作文がいかに嫌なのかを延々と書いたことがある」という武勇伝を持っています。そうきたか!斬新すぎる発想に面食らった記憶があります。
課題を受け取った担任の先生は、どんな心境だったのでしょうね。察するに余りあります。
自分が嫌いなことを仕事にしている風変わりな義理の息子、ボクのコトをまだ妻と付き合っている当時から応援してくれていたのが義母でした。当時は筆一本で食べていける自信しかなく、バイトを掛け持ちしながら書いていました。「わたしは大丈夫だと思うよ。必ず食べていけるから」。温かいコトバで励ましてくれたのです。
血がつながっていないとはいえ、今では実の母と同じくらい愛しています。時折アルプスの少女ハイジ的な無邪気さが顔を出して、ふくよかな方に妊婦さんですか?と唐突に聞いてしまうこともありますが、そんな面も愛らしいのです。素敵に年を重ねているなあと思っています。
これからもチャーミングな女性であってほしいし、孫にとってユニークなおばあちゃんでいてほしいなあ。健康に気を付けてながら。ひとつ願い事が許されるならば、我が家の子どもや甥っ子が作文で困っている時に、「作文」以外のタイトルで課題に向き合うようにしてもらいたいなと。それ以外、多くは望みません。
家の構造上、足を向けて寝ていますが、いつも感謝しています。ありがとうございます、お義母さん!
おもいのままに。続けます。今日も呼吸ができた。ありがとう!