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4歳の親
4年目を迎えた親としての決意について
天気に恵まれた昨日、子どもが4歳になった。
つまり、ボクたち夫婦も親になって4歳になったのだ。
子どもが欲しくて移住をした。
ラッキーなことに、本当に奇跡的に、すぐに子どもを授かった。
あの喜びは今でも忘れられない。
忘れちゃいけないと思う。
雪国にもかかわらず、子どもが生まれた日も快晴だった。
陣痛が来てから27時間、妻は踏ん張ってくれた。
10日の朝に入院し、まさか丸一日も陣痛に苦しむとは。
妻本人もボクも、予想だにしていなかった。
看護師さんに促され、ボクは夜中に自宅で仮眠を取った。
これが後々、妻にチクリ、チクリと言われることになるのだが。
仮眠を取って戻ってみると、妻は激しい陣痛に苦しんでいた。
苦しいとは聞いていたけど、あんなに苦しむとは……。
ボクは激しく動揺した。
テニスボールで痛みを和らげようとしたけど効果は薄かった。
このままどうにかなってしまうのではないかと心底焦った。
苦しみ抜いた夜が明け、ようやく陣痛室から分娩室へ。
そこからは早かった。
といっても、1時間半もかかったのだけれど。
丸一日も陣痛に苦しんでいたので時間の感覚がおかしくなっていた。
子どもは太陽のように両手、両足をパッと広げて生まれてきた。
いくつか候補があったけど、その姿からすぐに名前が決まった。
母乳に食い付いた子どもに、ボクは「ありがとう!」と伝えた。
妻もボクもあまりにもうれしくて泣いた。
元気に生まれてきたものの、母乳がうまく取れなかった。
日焼けサロンのマシーンみたいなところに丸一日、入れられたり。
体重が足りずに再入院したりした。
ボクの実母はベビーシッターのようなことをしていて時期があった。
ボクは3人兄弟だ。
子どもの扱いには慣れているつもりだったけど、”つもり”だった。
自分の子どもの小さな変化に気付かなかった。
ちょっぴり凹んだ。
生後半年、もっと凹むことに。
子どもが菌におかされ入院、手術をすることになった。
感染源は不明だったけど、帰省したラーメン屋の可能性が高かった。
乳飲み子を連れていくべきではなかったと深く反省した。
痛いはずなのに音楽に反応して微笑んでくれた子どもが救いだった。
これ以降、とにかく健康に留意して過ごしてきた。
でも、園にあがり集団生活をしていると、どうしても菌をもらってくる。
ヘルパンギーナ、胃腸炎、インフルエンザなどなど。
胃腸炎は家族みんなが感染して本当に地獄だった。
だれも動けず義母に助けてきてもらったら、義母も感染した。
あの思い出だけは、いまだに笑えない。
菌にはおかさてきたものの、大怪我は幸いにもなかった。
それだけに一昨日の大流血には驚かされたし、申し訳なかった。
怪我は付きものと書いたけど、やっぱり怪我はして欲しくない。
親3歳から4歳になるタイミングでの出来事。
「気を付けろよ」というサインだったのかもしれない。
夫婦で改めて気を引き締めたのは言うまでもない。
最近、口が達者になった子どもは、こんな話をしてれくる。
「お月様からパパとママを見ていて、
パパとママが良いと思ったから、パパとママのところに来たんだよ。
だから、パパとママ、大好き!うれしいでしょう?」
うれしくないはずない。
これだけは何度、聞かされても飽きることはない。
感動が薄れることがあろうはずがない。
ファンタジーではなくノンフィクションだと夫婦で解釈している。
親になったのではなく、親にならせてもらった。
思わず涙があふれてくる、子どもの話を聞くとそう思わずにいられない。
親にしてくれてありがとう。
誕生会の後、夫婦で子どもにそう伝えた。
ニコニコ。
子どもは笑顔で返してくれた。
これからも一昨日を越えるような事態に見舞われることも考えられる。
いいこと、ハッピーなことばかりが続かないのが人生だ。
子どもにできることは少ないけど、いつも笑っていたい。
ありきたりだけど、笑顔のあふれる家庭だといい。
笑顔のあふれる家庭がいい。
それ以上を望もうとは思わない。
おもいのままに。続けます。今日も呼吸ができた。ありがと!