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対イラク戦 ボトムアップ理論

日本対イラン戦後に思ったこと

選評、考察に関しては、ネット含めて溢れかえっているので敢えて触れない。熱心な代表のウォッチャーでもないので。と、やや言い訳がましい。

気になったのは、考察で度々、出てきた「ボトムアップ理論」という言葉。組織マネジメントで使われる、トップダウン型とは真反対の、ともに組織を良くしていこうとする考え方だそうだ。以下に詳しい。

状態の良くなかった板倉の交代に関する批判、守田の提言から森保監督がマネジメントしていない、という論調も目立つが、果たしてそうなのだろうかと思ったのが、「ボトムアップ理論」に注目したきっかけ。

ボクがサッカーに軸を置いてライティングをしていた時、栃木SCの元監督松田浩氏も同じようなことを言っていた。キャンバスは用意するが、そこに絵を描くのは選手たち自身。

つまり、松田氏は持ち味である「ボールを中心としたゾーンディフェンス」という大枠を先ず用意する。ある意味、これはトップダウン式。上記の記事にようにトップダウン型とボトムアップ型の理想は2:8なので、監督が明確な戦術を提示するのは当然と言えば当然。

会社組織の中でも同じ方向を向いて進むために、トップが明確な指針を提示するのと同じ。松田氏は守備体系以外にも細かい戦術を示したが、基本的にはピッチで選手が自主的に判断することを理想とした。

理想としたが、なかなか結果が出なかったのが実情。日本社会に巣くう指示待ち文化や、自主的な行動を待てずに指示を出してしまっていたことなど、原因は様々だが、染みついた「待ちの姿勢」は簡単には変えられなかったのだと、今になって振り返ると分かる。

当時は、そう思えなかったけども。それはボクもトップダウン型の中で生きてきたからだろう。先生や組織のリーダーに何かを言われないと動かない。それは息苦しい一方で、心地よくもある。

指示を出されれば、その通りに動けばいい。出された指示に従ったのだから、失敗したら方向性を示した人間を責めればいい。自分が損をしない代わりに、考えること、自分事として物事を捉えられなくなる。必然的に、主体性、自主性は失われる。指示された人の想像を超えることはない。つまり、成長の速度は鈍る。

トップダウン型の社会で、おそらく森保監督は育ってきたはずで、その功罪を熟知し、代表レベルを上げるためにボトムアップ理論を導入したと推察する。監督の顔を色を伺い、指示された通りにプレーしているようでは、進化のスピードは上がらない。それでは他国に追いつき、追い越せない。

イラン戦では失点に絡んだ板倉がスケープゴートにされているが、ウイークポイントになっていた板倉のプレー機会を減らすために、中盤、前線からボールの追い込み方を、選手自身で明確することもできた。ただ、できなかったから負けた。

親善試合とは異なり、一発勝負の大舞台では、ビッククラブと言われるチームで日常的にプレーしている選手も正常ではいられないはず。そこで声を掛け合いながら、ピッチの状況を改善することができたならば、戦況はまた違っていたはず。

森保監督を擁護しているわけでも、選手を批難しているわけでもない。客観的に見て冨安が語ったように熱量が足りなかったのは、その熱を発するリーダーがピッチにいなかったからだ。そういう選手をセレクトできなかった森保監督、他人任せにしてしまった選手、双方が1-2のスコアの原因を作ってしまったのではないだろうか。

インスタにも書いたが、選手交代は監督の特権。板倉を変える手もあったが、センターバックを代えるのは勇気が要る。仮に板倉がプレーするのに値しないと自身で感じていたのならば、自ら申し出ることもできた。そこまで森保監督が求めているのかは分からないが。

相手の脅威となっていた前田、久保を下げて、三苫と南野を交代で入れてギアを上げたかった、というメッセージがピッチ内で共有されていれば、指揮官の思惑通りに状況は一変したかもしれない。

どこまで自分で考えて行動することを求めているのかは定かではないが、ボトムアップ理論を根付かせ、一段上のレベルを目指しているならば、その過程で失敗はあるはずだ。もちろん、結果を残せていないことに目を向けなければいけないが、他国と伍して戦っていくための通過点と協会が捉えているならば今回の続投支援も頷ける。

海外から監督を連れてきてトップダウン型にすれば結果は残るかもしれないが、指示待ちのカルチャーは残ったままかもしれない。森保監督と協会は、トップダウン型とボトムアップ型のハイブリッドを目指していると共通認識を共有できていれば、今の方向性は悪くないように思える。

選手の個の依存しすぎているとの批判もあるが、結局ピッチで戦うのは選手なわけで、問題は個が伸びてもそれが組織として生かせるかどうか。海外クラブ所属選手が増えても、マインドが今までと変わらなければ、結局日本はワールドカップでの過去の成績を塗り替えることはできないように思える。

ボクもコンペやプロジェクトで大切にしているのは自主性だ。ポジション的にビジョンを示すけど、あとは個々が自分で考えて、自分で動くように促している。上手くいっていないのが現状だ。それは、今までの会社のカルチャーがトップダウン型だったからだ。

それは変えようとしているので、なんとなくだけど森保監督の思いは分かる。自分が一から十まで言ってしまえば簡単だし、仲間もコンペで負けたり、プロジェクトが上手くいかなった場合、ボクの責任にできる。

でも、ボクの考えなんて、たかが知れているわけで、仲間の意見も考えも反映されれば、より良いものができると思っているし、勝つ確率、うまくいく確率が格段に上がると思っている。制作物に思いは宿ると思っているからだ。

トップダウン型に疑念を抱いていたボクが、なぜトップダウン理論という言葉に反応したのか、その理由がわかった。カルチャーを代えるのは簡単ではないけれども、ボクも共闘できる雰囲気を環境を作っていきたいと思ったのだった。

おもいのままに。続けます。今日も呼吸ができた。ありがとう!



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