「夢幻回航」3回 酎ハイ呑兵衛
世機はまず、小林氏に連絡を取ってみた。
なんにせよ、依頼主である。
山田正広に言われても、今はまだ正式に本人から断られたわけではない。
小林陽太郎氏のスマートフォンを何度呼び出しても、応答はなかった。
電話を4回かけ直して、4回目のコール音が15回目で諦めて通話を終了した。
嫌な予感がした。
こういう予感は大概当たるものだ。
世機は確信していた。
小林陽太郎氏に何かあったのだ。
そして最も悪い予感があたっていたとしたら、すでに小林氏の命はないのではないだろうか。
呪術なのだから命のやり取りもあるのだが、今回はなにかいつもと違っていた。
何が違うのか世機にもわからなかったが、違和感のようなものが胸の奥にあった。
その感覚、外れてほしいと思っても、今までも外れたことはない。
夜羽を呼んで支度を済ませると、部屋を出た。
今回は急いでいたのでタクシーを使った。
術者は、特にこの業界に長い世機達のようなベテランは、移動に自家用車を使うことは滅多にない。
世機も沙都子も免許はあった。しかし車は購入していない。
理由はちゃんとある。
それは車に術を仕掛けられた時に命取りになる恐れがあるからだ。
更に術以外で殺されることもありうるから、乗り物は自分のものは使用しないのだ。
殺意のこもった相手から術をかけられたり、殺人のための手段として機械を破壊されると命に関わる。それがベテラン術者の見解である。
それなので、歩いていけるところは歩いてゆくし、電車やバスが利用できるところは利用する。
それにはもう一つ理由があって、人に発見されると効果を失う術もあるから、人目につくほうが呪術で狙われにくいのだ。
こういった細かい注意点が、鬼のような存在は別として、術者同士の戦いでは重要になってくるのだ。
だから術者はひと目を避けて術をかけるし、防御のために人目のあるところを好んだ。
世機も沙都子もそのことは先生から教わっていたので、しっかりと守っていた。
もちろん槇もそれは守っている。
それは一見人を盾にする行為のように見えるが、人が多く集まるようなところでは効力を発揮できない術も多いのだ。
だから一概に人を盾にしているとは言い難いのだと、世機たちの先生は教えていた。
世機は疑いを持たなかったわけではないが、先生の言うことは実践はしている。
タクシーは沙都子が電話で呼んでくれた。
自宅の前に来たのは、世機たちがよく使う会社のものだった。
オーソドックスな中型のタクシーであった。
体の大きめな世機と沙都子が乗ると、後部の座席は一杯になった。
二人が乗り込んで、ドアが閉まると車は軽快なエンジン音を立てて走り出した。
沙都子はタクシーの座席で、15センチ四方ほどの大きさの木の板を取り出した。
沙都子の服には大きな隠しポケットがあって、いつも道具を3個ほど隠し持っていたが、そのうちの一つを手に取ったのだ。
この一見するとただの木の板だが、どのような効能効果があるのだろう。
当然ながら世機にはわかっていた。
この木の板は、本当にただの木の板だったが、沙都子が集中するのに必要なアイテムなのだ。
沙都子は集中力を高める時にこの板を使う。
この木の板に特別ないわれでもあるわけではなく、沙都子には必要だというだけである。
この15センチ四方の木目の板は、子供の頃に世機が沙都子と遊ぶのに使っていたものである。
世機と沙都子と槇は特殊な環境で育ったのもあって、子供の頃に子供らしいゲームなどで遊んだことはなく、呪術のトレーニングが遊びのようなものであった。
沙都子が集中を欠いて練習にならないスランプに陥った時に、集中力を高められるアイテムとして、世機が沙都子にこの板に念を込めてみたらいいと手近にあったものを渡したのだ。
この板はもともと日本人形の固定台だった。
世機が近くにあった人形の台を外して沙都子に渡したのだ。
世機はその板を見て、当時のことを思い出した。
こんなものしかやれない自分を情けなく思ったものだ、と。
沙都子が集中に入った。
そして沙都子の口から言葉が出てくる。
「準備して」
世機にはなんのことかわからなかったが、準備とは戦う準備かなと予想できた。
手にできる武器はポケットに念をこめた木の棒しかない。
世機は体術に呪術をこめて相手を払うので、札のようなものは持ち合わせていない。
戦闘準備は常にその身一つ。
世機も体中の気を高める。
オーラの見える人がいたら、世機の周りにエネルギーの膜が燃え上がるのが見えるはずである。
もちろん沙都子の周りにもエネルギーの炎がまとわりついている。
「来る!」
沙都子が叫んだ。
世機は車を止めるように言った。
タクシーが路肩に寄って止まる。
辺りを確認してドアを開けて、二人は外へ出た。
タクシー会社と契約しているので、料金は後で連盟経由で送られてくる。
二人は物陰へと走り出す。
タクシーはというと、二人の仕事をわかっている運転手なので、もうその場を離れていた。
相変わらず早いな、と、世機は思った。
辺りに人気はなかった。
タクシーに乗っている時に違和感があったから、おそらくは結界術でも使っているのだろう。
人払い。
基本的な技だが、これがやれないと戦えない。
なんせ、人に見られただけで効力をなくしてしまう術が多いのだ。
当然神憑や夜羽にとっても具合がいい。
相手が術を維持してくれる。
ただし結界術は術をかけた方に有利にはたらく。
相手の技が少しだけ強くなったり、こちらの技が少しだけ弱くなったりする。
だが、術を維持する体力が、気力が必要になる。どっちもどっち、神憑や夜羽ほどになると、さほどの苦にならないのだ。
世機は辺りにレーダーのように気を飛ばしてみる。
2人、いや、3人か?
異質な気配が2つ。
異質な気配の正体はだいたいわかっていた。
多分だが、連盟が鬼と呼んでいる奴らである。
そしてもう一つが術者本人。
「どうする?」
夜羽が言う。
彼女も敵の正体に気がついたようである。
「どっちを先にしよっか」
楽しんでいるような口調だが、声は少し緊張しているようだった。
「オレが2体やる」
世機は、やれるかなと思いながらも、現状で最良と思われる選択を口にした。
「たのむ」
夜羽も頷く。
世機はため息をついて両腕と両足に気合をこめた。
夜羽が敵の術者に念を飛ばす前に、向こうから先制攻撃があった。
沙都子はそれを片手で弾いてみせた。
弾いた攻撃が、2ついるうちの鬼の片方に中たる。
世機はさすが!という感嘆の声を上げる前に、その攻撃を合図に飛び出していた。
16メートルの距離を、どうやってかたったの7歩で詰め寄る。
相手も人間ではないが、こちらも人間業ではない。
攻撃を受けた方の鬼、左側の、呪術者のいる方向に近い方の鬼を蹴りつける。
開戦時の判定は五分と言ったところか。
鬼は世機の攻撃を咄嗟にガードはしたが、衝撃で1メートル後方に押し下げられた。
鬼の攻撃。
鬼は世機に向かって左足をロウ気味に素早く放つ。
世機はヒラリと飛び上がる。
格闘の基本からすれば、空中戦などあまり褒められたものではないが、相手は鬼である。
一撃でも喰らえば致命傷は必至だ。
それに世機は次の一撃を狙っていた。
飛んだ瞬間に身を捩って、鬼の顔面に右足の踵を打ち下ろす。
更に顔面を踏み台にして上方へ飛び、落下の衝撃を利用しつつ体重を載せて思い切り踏みつける。
これにはさすがに鬼もたまらずに仰け反る。
鬼の鼻から血のようなものが流れ出る。
沙都子の方も戦闘開始していたが、こちらは攻められていた。
相手は札に載せた念を飛ばしてくるようだ。
呪符を使うのである。
沙都子も相手の攻撃は受けずに躱すようにしていたが、相手の攻撃は沙都子の想定よりも早かった。
攻撃を繰り出す手が早く、沙都子が攻撃を繰り出しても避けるのが非常にうまい。
沙都子はチラリと世機の方を見た。
善戦している様子を見て、悔しさがこみ上げてきたが、そんな感情に心を揺すぶられる暇すら与えてはもらえなかった。
「よそ見ですか」
敵の術者の声、女!沙都子は少し驚いた。
気配が男に近いと思っていたのだが、声が女っぽい。
「わたしが女だからってなんですか」
この術者、思考が読めるのかな。
沙都子はそうだったら厄介だなと考えながら札を投げつける。
負けられないな。
沙都子はすくっと立ち上がる。
「来な!わたしの方がいい女だってわからせてあげる」
相手の術者も挑発に答えてきた。
「ほざけ!ドブス!」
沙都子から仕掛けた。
相手はサラリと避けると、斜に構えた。いわゆるパニ立ちだ。
「ドブス!名乗ってあげる!よく覚えときな!」
「里神翔子だ。鈍い頭に叩き込んどきなよ」
里紙翔子(さとがみ しょうこ)という名前に、沙都子は聞き覚えがあった。
沙都子の考えが合っていれば、この女には二つ名がある。
つまりそれほどの手練だ。
里神翔子、二つ名は黒鉛龍の翔子という。
呪術で国家転覆を狙ったとか、ある国の軍事政権打倒に力を貸しているとか、とにかく政治的な活動をやる呪術活動家、とにかく裏の世界での超有名人だ。
沙都子と同じ年くらいに見える。
「もし本人なら、相手にとって不足なしだな」
沙都子は里神に向かって言う。
「残念ながら本人だよ、あんたの最後の相手だ」
「やってみたかったんだよね、あんたとは」
沙都子は相手を睨み据えてフッと微笑む。
沙都子の表情を見て、里神も微笑む。
「良いね、久しぶりだよ、オレの名前を聞いても怯まない相手はね」
里神も沙都子を見据える。
「名前、聞いてやる。あんたにとって最後の相手だけどね!」
沙都子は更にひどい微笑みを引きつらせて口を半開きにする。
「夜羽沙都子!冥土に行くのに覚えとけよ」
印を素早く組んで札を飛ばす。
思い切りの本気で念を込めた。
里神は身を躱すが、札はホーミングミサイルのように後を追いかけて飛んでゆく。
里神が躱すたびにスルスルと追いかけてゆく。
逃げ切れない!
里神は思ったが、態度にも口にも出さなかった。
思い切り掌に念を込めて札を打ち据える。
掌がしびれるくらいに痛かった。
里神は少し顔を歪めた。里神翔子はそれが悔しかった。
沙都子はそれを見て、息を荒く吐き出して笑った。
「やれそうとか思ってないだろうね」
里神は言ってから、沙都子と同じ術を10連発一度に放った。
10枚の札が大きく弧を描きながら四方八方から沙都子を目指して飛び交う。
沙都子は右へ左へと飛び回り、跳ね回って札を躱してゆく。
体を使って受けたら、確実にダメージが来ることは想像できた。
体の一部に触れれば、一気に念が流れ込んでくるタイプの攻撃であることが、沙都子には想像できた。
沙都子はポケットから札を適当に掴んだ。
攻撃を躱しながら枚数を見ると、3枚あった。
沙都子はその3枚に念を込めて、狙いをつけて放つ。
ヒラヒラと札が舞い、一枚が相手の札の一枚に中って弾けた。
沙都子はニヤリと笑う。
残りの2枚が一度に各1枚ずつ、相手の札2枚に中たる。
同時に弾け飛ぶ。
更に適当にポケットから札を取り出す。
枚数を見て舌打ちする。
4枚!
沙都子はまた同じように投げる。
今度は立て続けに中たる。
里神はその様子を見ていて、全てかわされる前にもう5枚ほど追加を放った。
当然放ってから自分の位置を移動する。
「クソッ」
沙都子は唸って、近くの壁を蹴り上げて、建物から出た突起物、パイプなどを掴んで一気に天井まで駆け上がる。
そして壁を蹴り、一気に里神に近づく。
里神の札が沙都子の足元近くに迫る。
沙都子は足に念を込めて、ふわりと体重を乗せる。
バランスを取り、さらに札を蹴り、上に飛ぶ。
「どうした?」
里神が叫ぶ。
里神翔子の札が1点に集まり、沙都子の足元へ狙いをつける。
来た!
沙都子は足に念を集中させて札を一気に踏みつけた。
さらにポケットから札を何枚か取り出して、里神の方へ投げる。
里神翔子はスキを突かれた形となって、防御が遅れてしまった。
沙都子の手から放たれた札は4枚。
うち2枚は弾かれたが、残りはすべて里神翔子にヒットした。
思わず里神が仰け反る。
右腕から血しぶきが上がり、苦い表情を浮かべる。
里神の動きが止まった。
どちらか先に動いたほうがやられる。
そういった気配が2人を包んだ。
2人は睨み合ったまま動けなくなってしまった。
一方神憑世機と鬼2人の攻防である。
鬼は連携攻撃を仕掛けてくる。
一撃を喰らっては消し飛ぶ程度の防御力の人間には、躱すだけでも命がけである。
世機は大きく躱しながらも、鬼の一方だけを削ってゆく。
だがやはり限界が来たか。
鬼が放った一撃が中ってしまった。
鬼の繰り出す右腕の一撃に、念を送って対処するのが精一杯の抵抗だった。
鬼の右手を吹き飛ばす代わりに、自分はダメージを喰らってしまった。
チラリと沙都子の方を見る。
あちらも余裕なしか。
仕方がない。
世機はこれだけは使いたくないと思っていた最後の一撃を放った。
鬼二体に向けて同時に渾身の念を放ったのだ。
鬼の心臓が破裂し、神憑は膝を折った。
神憑世機の呼吸はもう限界だった。
ただ、鬼は時間が経てば回復してくる。
万事休すかと思ったその時に、突然に結界が晴れた。
「これまでか」
里神翔子が呟いた。
「夜羽沙都子と言ったか、覚えておくよ」
言い残して、里神翔子は姿を隠した。
2体の鬼も同時に消えた。
「辛勝ってところかしら?」
沙都子の評価に、世機は苦笑いしかできなかった。
神憑世機の体調はしばらくは治りそうもなかった。
沙都子はどこかに待機している先程のタクシーを呼び戻した。
このタクシーは全日本呪術師連盟の系列企業が経営している会社のもので、こういった術師の事情に詳しいスタッフによって運営されていた。
だから連盟の者はこの会社をよく使った。
この会社のタクシーには、連盟の者が霊的な手傷を負ったときの治療キットなどが積まれている。
車が来てくれるのを待って、沙都子は世機の手当をした。
沙都子の方は大した怪我ではなかったので、治療などはぜずに済ませた。
小林氏の家に着くまでに20分ほどかかったが、その間に襲われることはなかった。
敵もあきらめたわけではないからまた来るだろうなと、沙都子も世機も思っていた。
それにしても手強い相手だった。
あのような手合いが何人も居るのか、それとも彼女だけで、後は有象無象なのかそれさえもわかっていないのだから、最悪の事態を想定しておかなければならない。
最悪の事態。全員が強敵であると言うこと。
沙都子は頭を降った。嫌な考えを弾き飛ばそうと思って取った行動だった。
神憑の方を見ると、こちらは怪我のせいばかりではなく、ほんの少しだけ沈み込んだ様子である。
神憑世機は次に今日の敵と出会ったときのために頭の中でシミュレーションを繰り返していた。
根っからの格闘馬鹿であるから、負けたというよりも勝てなかったのが悔しかったのだろう。
そのために先程から黙り込んでいて、沙都子には落ち込んでいるように見えたのだろう。
沙都子も世機の様子から察したのか、頬って置くことにした。
今は自分の考えに集中した。
里神翔子、呪術を使ってテロリストや半政府組織などを支援する、裏世界の有名人だ。
なぜたかだか一市民でしかない小林さんのトラブルに関わってくるのか?
単純に、ただ雇われただけなのか?
小林さんに政治的な背景でもあるのかな、それとも、借金を申し込んだ中にそういったものにつながるものがいるのだろうか。
いくら考えてもわからなかった。
まだ何も見えていない。
何もピースが揃っていない。
事件を読み解くための材料が、決定的に不足している。
まだ何もわかっていない。
気をつけなければ命取りになる。
山田正広がこの事件から手を引け、関わるなというのはそういうことかと沙都子は思った。
世機とわたしだけでは手に余るということか。
沙都子はその考えに達して悔しさと、それとは別のなんとも言えない複雑な感情が湧いてきた。
やれるかな?沙都子はこの事件からは、離れたくても離れられない、関わりたくなくても関わらないわけには行かない因縁のようなものを感じていた。
抜けたくてしかたがないと思う危機感を感じていたが、また、何かの力で引きずり込まれるような、霊的な因縁があるとも思っている。
世機はどう思っているのだろうか。
世機ならどうする。
今考えても仕方がない、とりあえずは小林さんのところへ行ってみてからだ。
それにここで襲ってきたということは、すでに小林氏の安否も怪しいものだ。
世機が何度か電話をしているようだが、小林氏とはまだ連絡が取れないようだ。
考えれば考えるほどに不安材料が増えるばかりだ。
沙都子は拭いきれない不安を追い払おうとしてか、顔を両手でパンと一回叩いて気合を入れ直した。
そして世機を見てから、タクシーの運転席に視線を移す。
頭の中の考えを、リセットするつもりで追い出してみる。
瞑想とまでは行かないが、沙都子の思考方法である。
ゆっくりと深呼吸をし、気持ちを落ち着かせて頭の中身をクリアにしてゆく。
焦ってポカをやったら命取りになる。沙都子はそういった事件に巻き込まれてしまったことを感覚的に理解して、もう少し注意してかからないといかないと、改めて思った。
世機の意見が聞きたかったが、彼の様子を見て、今早めたほうが良いのではないかと思ったので、口に出すことはしなかった。
思考がまとまらないうちに、タクシーは目的地に着いてしまった。
沙都子と世機が車から出ると、運転手は「待っていますよ」と言って声をかけて来た。
世機は「ああ、頼みます」と答えると、辺りを見回す。
閑静な住宅街と言ったところだが、都会のそれと違って、高級な住宅地というわけではない。
沙都子は大きく伸びをして、縮こまったからだと精神を解そうとした。
世機は首を鳴らして、肩を回したりした。
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