「夢幻回航」2回 酎ハイ呑兵衛
沙都子は窮屈そうにテーブルから椅子を離して移動させてから、足を組んで神憑から視線を落とした。
そして缶のお酒を少し口に含んで、ゆっくりと飲み込んだ。
「小林さんだけれど、あんな感じの人だけれども、相当にうらまれているようだよ」
神憑世機も夜羽沙都子の話を聞きながら、依頼人の小林氏の顔を思い浮かべた。
とても人の良さそうな人物に見えた。
恨みを買うようなところは見受けられなかった。
だが、沙都子が言うのだから、本当に恨まれているのだろう。
依頼人小林陽太郎(こばやしようたろう)、何があるのやら。
「まず仕事の関係」
沙都子が話し始める。
「小林陽太郎さんは一般企業の一介のサラリーマンだけれども、実は株で財テクして、かなり稼いでいるの」
よくある話だな、と、世機は思った。
「ここまではよくある話。もう一つよくある話なんだけれど、借金の申込みが多数あるの」
それもたしかによくある話。
「ここからがちょっと複雑」
沙都子は間を置くと、意味有りげに微笑む。
このあたりが沙都子の維持の悪いところだ。
世機は沙都子の意地の悪さに、思わじ自信もニヤリと顔を歪めた。
次の言葉が予想できたのだ。
そして、こいつ!と思ってしまったのだ。
「借金の申込みはほとんどが同僚や彼の知人なんだけれど、一人だけ違う立場の人がいたの」
やっぱりな、と、世機は腑に落ちた。予想があたった瞬間である。
沙都子は更に間をおいて離し始めた。
「彼の勤める企業の経営陣の一人が、借金を申し込んでいたのよ」
世機は沙都子の言葉には大して驚かなかった。もちろん予想通りだったからである。
「で?」
世機が促す。
沙都子は口をとがらせて、つまらなそうに話を続けた。
「会社のお金を5千万ほど使い込んだらしいのよ」
「それで、補填しきれなくて、借金か」
沙都子は本当に口を曲げてしまった。
「あなたと話していると、本当につまらない!」
今回はオレの勝ちか?と、世機は鼻で笑ってみせた。
沙都子はつまらなそうに、それでも話を続けた。
「いくら財テクで、株で稼いでいる小林さんでも、5千万は流石に大金なので、断ったらしいの。それで、嫌がらせを受けたりしていたらしいのだけれども、それでも応じてくれないので、どうやら同業者を雇ったらしいの」
なるほどな、そういうことか。
世機も納得である。
「で、相手は誰かわかっているの?」
世機は沙都子にたずねた。
沙都子は首を大きく横に降って否定した。
沙都子の調査能力は世機や他の仲間も認めているほどの実力である。
高位の術者が、沙都子に調査を依頼することもあるほどだ。
その沙都子が、相手がわからないというのだ。
世機は不安になると同時に、少しばかり楽しくなってきた。
久しぶりに沙都子に格好いいところを見せられるとか、そういったことではない。
沙都子が苦戦する相手に興味が大きくなったのだ。
「他にもいるんだよね?」
世機は聞いてみた。
沙都子は頷くと、話し始めた。
「同僚ってのは女性で、星野よしの、さらに如月純子、これはなんと先の使い込み専務の高橋健吾の愛人なのよ。二人共にね」
相手は一人ってわけか。
世機は単純な構造に拍子抜けしたが、事件が簡単になってよかったと、少しがっかりした。
世機は小林さんの身に起こった出来事を思い返してみた。
立て続けに自動車で事故を起こしてしまい、5度目の事故で人を怪我させることになってしまった。
その事故というのが、たったの2週間で5回である。
さすがに疑いを持って、知り合いの伝で世機たちに連絡を取ってきたのである。
最初は世機たちの組織につながる神社に連絡があったのだ。
そこから世機達のところへ仕事が回ってきたのだ・
世機は沙都子の言葉を待った。
「貴方もご存知だけれども、術者ってのは自己主張の強い人たちばかりでしょ?普通ならば自分がやったという証拠の術なり品物なりを残すはず。ソレがない」
自己主張が強いので、奇抜な格好をしたりするのだ。
「全く痕跡がない?」
世機が聞くと、なぜか沙都子はまた、首を横に振った。
「痕跡がないわけではないと」
「痕跡がないわけではないの。たくさんの痕跡があり過ぎるの」
「どういうこと?」
「5回の事故がそれぞれ呪術の手口が違うの」
小林氏の依頼に関しては、今の所沙都子に任せきりで。世機はノータッチなので、彼女の言うことは気になった。
「5回ともか」
「そう、5回とも」
「5人が関与しているとか」
「ソレも考えられるね」
沙都子は言ってから、足を組み直す。
残念ながら、パンツスタイルなんだよな、と、世機は余計なことを考えながらも、自分なりに考えを巡らせてみた。
5人が関与しているということは、別々の雇い主が居て、たまたま方法がかち合っただけとか、な?
世機はその考えが、それなりにいい線を突いているのではないかと思った。
沙都子もそのくらいは考えているだろうから、彼もあえて言わないことにする。
「他にそう言うのを雇いそうな相手が見当たらないの」
沙都子にしては珍しいなと、世機は意地悪くにやつく。
沙都子は突っかかりもせずに、世機の態度を無視して何かを考えている様子だ。
世機は乗ってこないのね?と思ったが、今は仕事の話。
じゃれ合いはいつでも楽しめる。
「オレも暇になったし、探ってみるよ」
真面目に答える。
沙都子はお願いするよと言って、残りのお酒を一気に呑んだ。
世機は沙都子に向かって、
「食べて行くんだろ?」
普通逆なんだろうけど、と、世機は思っても口にはしない。
沙都子は世機の言葉を待っていた様子で、視線が頷いている。
世機が料理を作り始めると、沙都子はそのまま座って考えに耽った。
小林陽太郎邸
小林氏は質素な暮らし向きで、とても株で儲けていると言う風体ではなかった。
どちらかと言うと、風采の上がらない普通の親父という出で立ちで、小肥りの体格もあって、優しそうな見てくれである。
そんな小林氏がどうして呪術者に狙われることになったのだろう。
小林氏は、畳の部屋にローテーブルを置いて、テレビを見ながら安いウイスキーを飲んでいた。
甘くない炭酸で割って、ハイボールにしてチビりチビりと飲んでいるのだ。
成金趣味とは程遠い。
酒を飲みながら、片手にはタブレットで、何かを凝視していた。
いったい何を見ているのだろう。
白い筐体に、黒縁の液晶画面の端末である。
小林氏は耳にブルートゥースのイヤホンをはめているところを見ると、動画でも見ているのだろうか。
いったいなんの動画なのか興味のあるところだが、彼の顔から漏れる下卑た笑みから予想すると、あまり褒められた内容では無いのだろう。
動画はやはりその手のものであった。
若い男女が重なりあっている。
女の方はまだかなり若く見えた。
小林氏の人に言えない趣味の一つなのだろう。
そうした画像を小林氏は凝視していると、タブレットの調子が悪くなったのか、引っ切り無しに画面をつついたり、スイッチを何回か押してみたりし始めた。
そして突然の大音量でも出てしまったのだろうか、耳にはめたイヤホンを急いで外し、テーブルの上に投げ出した。
タブレットの画面は乱れて、突然ブラックアウトした。
そして音もなく、突然に画面のガラスが割れて、二度と使い物になら無くなってしまった。
小林氏は驚いて、わっ!と大きな声をあげてタブレットを畳の上に落としてしまった。
タブレットは煙を吐き出し始めたので急いでつまみ上げると、台所に持っていくとシンクの中に 投げ入れた。
多少のやけどを負った程度で済んで良かったというべきか。
小林陽太郎にとってはそうではなかった様子で、ひどく怯えた様子で今にも震えだしそうに顔を引きつらせていた。
青ざめた顔で、シンクを見詰めている。
それにしても、タブレットのガラスに罅割れが入るような場合というとどんな原因が考えられるだろう。
煙が出て壊れたということは、熱で割れたのだろうか。
ハードウエアの故障なのだろうが、小林陽太郎氏は違った考えを持っていた。
自分が呪われているということは承知していた。
もちろんそういった思い込みなのかもしれないが、小林氏は思い込みなどとは思っていない。
呪われたと思っているから、神憑世機と夜羽沙都子に依頼したのだ。
二人のことをどうやって知ったのかというと、今の時代意外ではないだろうが、二人は仕事の依頼を、ウエブサイトから受けていた。
二人の属する団体がホームページを設けていて、二人もそのページに名前を出して仕事を受けているのだ。
神憑世機と夜羽沙都子の所属する団体の名前は「全日本呪術者連盟」と言った。
その名のとおりに呪術者の集団だ。
呪術を生業とする旨が、ホームページにも書かれている。
小林陽太郎氏は自身に立て続けに起こった自動車事故を不審に思い、そういったところへ連絡を撮ってみたのだ。
もっとも最初から呪われているなどと思っていたわけではなかったのだ。
最初はもちろん警察に相談に行ったのである。
だが、警察では取り合ってもらえなかった。
さすがの警察も、気質の小林氏が命を狙われているなどとは思わなかったのだ。
それでもやはり恐怖を感じていた小林氏は、ネットを探って神憑たちの所属する組織のページへと行き着いたというわけである。
辺りはもうすっかり暗くなっていて、月も出ていなかった。
小林氏の家のある辺りは中心地から外れた、どちらかといえば田舎の方に属する街であるので、夜も更けてくると人通りもなくなり、本当に静かで暗い世界が覆い尽くす。
小林氏がタブレットから意識を離して席に戻ろうとすると、窓の外が光り、雷鳴が轟いた。
「ひいぃ!」頭を抱えてうずくまる。
別段雷が恐ろしいわけではないのだが、今は精神的に負担が大きいのだろう。
なにかから逃げるように見を低くして、うずくまっている。
三度めの雷鳴が鳴り響いたときに、ザッという音とともに雨が降り注いだ。
小林氏は身を屈めながら自室へと引き籠もり、ベッドへ潜り込んだ。
小林氏は神憑たちに連絡を取るべきかどうか迷っていた。
こんな些細なことで、連絡してもいいものかどうか、呪術師という手合を、今ひとつ信用できていない。
余計な金を請求されるのではないかとか、知られたくないことまで探られてしまうのではないかとか、様々に心配の種は尽きないのだろう。
誰だって、霊能師や呪術師などの得体のしれない者には必要以上に関わり合いになりたくないものだ。
小林氏は悩んだ挙げ句にスマホでメールを贈るだけにとどめた。
そしていつの間にか眠ってしまった。
朝3時。
まだ暗い空に星も瞬いている。
神憑の住んでいる街の辺りだと、この時間は、まだ月の見える時間だ。
雲もなく、辺りは澄んだ空気がまだ春先の冷気をはらんで、肌寒ささえも感じる。
神憑の吐き出す息で、彼のメガネが少し曇る。
吐息はもう白くはないが、まだメガネを曇らせるだけの冷気が包んでいる。
神憑は先生から習った体術の型を一通りやってから、自分の考え出した技の練習をするのが朝の日課となっていた。
3時から1時間半かけて毎日行っている。
彼は普段の格好や言動が軽い印象を与えるが、格闘術や技の練習は高熱でふらついているとき以外はほとんど毎日行っている。
よほど仕事で時間のないときには練習できないこともあるが、それが彼の強さを支えていた。
天才など居ないというのが先生の言葉でもある。
神憑もそう思っていた。
夜羽も技の練習に対してはストイックな面があるが、彼女はきっちり6時間以上寝る。
美容のためなんだとか。
そのくせ神憑よりも呪術はうまいのだから、神憑も沙都子にだけは恋愛感情以外の尊敬に近い思いも抱いていた。
だが、彼にもプライドがあるから尾首にも出さなかったが、負けたくないとも思っている。
両手のひらに念をこめて、掌打を放つ。
こういう技の練習は実際に打ち込んだほうがいいのだが、彼ほどになるとイメージだけでもトレーニングになる。
感覚のある人ならば、彼の手が白く見えているはずである。
気の一種なのだろうかと先生に尋ねたことがあったが、先生は呪術師は気を別のものに変質させているのだとか。
神憑は何年も考えてみてはいるが、未だにその意味がよくわからないでいる。
先生からの最後の宿題なのだろうかと思うときもある。
その辺の質問も沙都子に対して行ったこともあるが、沙都子の答えでも神憑は感覚的には理解できずにいた。
トレーニングが終わると、沙都子が顔を出した。
沙都子はフェイスタオルを投げてよこした。
「ご飯作ってよ〜」
沙都子の言に世機はおいおいこの女!などと思いつつもいそいそとご飯を作るために戻る支度を始めた。
この辺りが世機の優しさというか人の良さだった。
別に沙都子だってご飯の支度くらいは出来る。
ちょっとした料理などは一通り出来るはずである。
世機が教えたのだから、こなせるようにはなっているはずなのだが、彼女は一向に作ることをしない。
作るのが嫌なのか、本当に世機の作る料理が美味しいと思っているから作らないかは、彼には判断しかねた。
珍しく、可愛らしく微笑む沙都子に、彼は嫌々手を降ってみせた。
世機は部屋へ入ると、まずPCの電源を入れた。
彼のPCは特別性で、自分好みに組み立てたものだった。
世機の凝り性は、ここでも発揮されていた。
彼の本業はライターであるので、とことんキーボードにはこだわっていたし、画像の編集などもするので、ペンタブやその他ツールもそれなりに良いものがつけてあった。
そのPCに電源を入れて、メールをチェックする。
いつものDMが100通程度と、本題である仕事のメールが3通あった。
3通のうち1通は表の仕事のメールであった。
2通は呪術師としての仕事のメール。
更にその1通は連盟からの呼び出しである。
もう1通は小林氏からのメールだった。
小林氏からのメールには、件名などは入っていなかった。
アドレスだけで小林氏からとわかった。
メールには、怖い、とだけあった。
何かあったら連絡をくださいとは言ってあったが、やはり連絡しづらかったのだろうと世機は思った。
それにしても気になるな。後で行ってみよう。
世機はそう思うと、今度は連盟からのメールに目を通した。
連盟からは、神憑や夜羽を管理する、会社で言えば上司とでも言うような、担当係の署名があった。
山田正広という男であるが、実直なだけのつまらない男に見えるが、付き合ってみるとそうではないことがわかる、面白い男である。
山田さんが何だろう?
世機は文字をなぞる。
要件を簡単にまとめると、山田さんは世機たちに小林氏の件から手を引けと言ってきたのだ。
理由はなかった。
とにかくヤバイから手を引けというのである。
山田さんにしては珍しいな、理由もなしなんて、今までになかったのにな。
世機は山田さんに連絡を取るべきだろうなと思った。
PCの時計を見る。
まだ6時にもなっていない。
流石に朝の6時にもなっていない時間に電話とは行かないだろうな。
世機は朝食を作る準備のために、PCの電源を落とした。
沙都子はテーブル脇の椅子に腰掛けて、世機が食事の準備をするのを今か今かと言った様子で待っていた。
世機はフッと笑いながら、こういったところが子供の時から変わっていないなと思った。
沙都子は世機の日課をよく知っている。
食事の準備前にメールのチェックをする癖のあることも、重々承知である。
だからメールについて尋ねた。
「ねぇ、なにか来ていた?」
世機も隠すこともなかったので、答える。
「協会の山田さんからのメールと、小林さんからのメールだよ」
「小林さんなんて?」
「怖いってさ」
「そうか。そうだよね、初めてなんだしね」
「うん」
世機は少し口ごもった。
「山田さんはなんて?」
沙都子は世機の様子に察するものがあったが、それでも確かめたかった。
「山田さんは、小林さんの1件から手を引けってさ」
世機は何事もない様子で答える。
「どうしてよ?」
沙都子は尋ねた。
「理由は書いてなかった。後で聞いてみようと思う」
世機は答えた。
沙都子は少し不審げな表情で、世機を見つめる。
そしてそれ以上は聞かなかった。
世機は話をしながらも手際よく、簡単な朝餉(あさげ)の支度を終えていた。
味噌汁とご飯と漬物だけの質素な朝食だったが、これだけ出来れば大したものだろう。
世機は時間さえあればもっと手の混んだ料理も可能であるが、朝はいつもこんなもので、最も軽く済ませていた。
沙都子は用意された朝食に手を合わせて食べ始めた。
きちんと食べておかないと、今日は長い一日になりそうな予感がした。
世機は今日の予定を頭に中で組み立てると、食事をしながらではあるが、記憶の中にとどめおいた。
沙都子はというと、今日は何も考えずに、世機の支持に従っていれば良い気がしていたので、食事に専念して、終わってから予定を尋ねることにした。
今は食事、二人はゆっくりと食べ始めた。
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