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「夢幻回航」11回 酎ハイ呑兵衛

紺色の軽自動車が、6階建ての集合住宅が建ち並ぶ一角に止まった。
ドアが開き、ドライバーシートから降り立ったのは、山田正広だった。
建物にはそれぞれ番号が振られていて、2と書かれた建物に、山田の足は向いていた。

いつもよりも少しだけ身形を整えているあたりが、山田らしからぬところであったが、紅葉からはいつも身嗜みについてダメ出しを喰らっているものから、山田としても、紅葉に合う時はそれなりに気を遣う。

紅葉がそのような事に注意を払う男性が、山田ただ1人だというのは、紅葉ファンの羨望の眼差しを受けた。
山田は大して意識もしていなかったが、妬みを受ける材料ではあった。
本人は浮いた気持ちなどほとんど無かったのだが、まわりの注意を惹いていることは、山田にもわかった。

最上階の6階フロアの一番端に、紅葉の部屋はあった。
ドアベルを鳴らして、紅葉を呼び出す。

「いるか?」
山田は声をかけたが、中からは返事がなかった。
その代わりに物音がして、1分ほど待っていると、ドアが開いた。
いつもの着ぐるみファッションではなく、シックなよそ行きに着替えた紅葉が顔を出した。

紅葉は上目遣いに山田に言った。
「どう・・・かな?」
こういった仕草が、紅葉ファンが彼女に求める姿なのだろうが、こういった反応が見られるのは山田の特権だった。
「良いんじゃねぇか?」
山田はまるで妹にでも言うような感情しか表さなかった。

2人は連れだって建物を出ると、山田の乗ってきた軽自動車に乗り込んだ。
2人はこれからドクター佐治の所へ行こうというのだ。
猶の容体を見るというのを口実に、山田は紅葉を誘い出すのが目的だった。
男女の感情は遠い昔に薄れていたが、山田はことあるごとに紅葉を誘った。

まだ危うさの残る彼女の精神状態が気になっているのもあるが、山田にとっても妙に気の合う相手だったからだ。
普通の出会い方をしていたら、この不釣り合いに見える容姿の二人は、案外と良い関係になれていたかも知れない。

山田は紅葉がシートベルトを着けるのを確認してから、車の始動スイッチを入れた。

「ごめん、クスリを飲まなきゃ」
紅葉はクスリを取り出すと、3錠一度に、水なしに飲み込んだ。
彼女は精神科に通っていたが、その事実を知るのは山田だけだった。
山田は度々、紅葉の服薬を目にしていたが、そのたびにもどかしい気持ちになった。
こういった病気には、ドクター佐治の治療もあまり効果はない。
紅葉は霊的なもので病気になったわけでは無かったので、普通の病院に通院する必要があった。
紅葉のことを哀れむような感情ではなく、やりきれない、こみ上げてくる何かがあった。

山田は思い出したように、紅葉に言った。
「そう言えば、ドクター佐治に連絡をとっていなかった」
紅葉は薬の空き袋をポーチの中にしまうと、スマホを取り出した。
山田は紅葉の様子を見て、「ドクター佐治のアドレスが入ってんのか?」と、尋ねた。
紅葉は、他人にはなかなか見せない表情を、山田には見せる。
ちょっと意地悪い表情を浮かべると、「妬ける?」と言いながらおどけてみせた。
「馬鹿言ってるなよ。早く連絡しろ」
「ハイハイ」
紅葉はアドレス帳から、ドクター佐治の電話番号をタップした。

電話に出たのは、ドクター佐治本人ではなく、助手のキルケーの方だった。
この助手、実は紅葉がある事件で知り合って、行く場のなくなった彼女を、ドクター佐治の所へ紹介したのだ。

「お久しぶりです」
男女どちらともつかいない中性的な低い音声が流れた。
キルケーのものだった。
紅葉は幽霊でも電話に出ることができるという事に、改めて驚いた。
「お久しぶり、キルケー」
「わたしだとおわかりですか?」
「ドクター佐治はそんな声じゃないもの」
「猶さんの事ですね」
「これから行っても大丈夫かしら」
「ドクターもわたしも、これからの予定はありませんよ」
キルケーの声に、紅葉は、ありがとうと言って、通話を切った。
「大丈夫だって」
紅葉が言うと、山田は頷いた。

山田たちがドクター佐治の病院に着くと、佐治が迷惑そうに頭を掻きながら応対してくれた。
「まったく今日はどうなってるんだ?患者を休ませてやれよ」
ドクター佐治の言葉に、山田正広と中村紅葉は苦笑いした。

いつの間にか紅葉の脇に、キルケーの光があった。
紅葉や山田はもちろんキルケーの接近に気がついていたが、キルケーにはもちろん悪意はないので、放っていおた。
だが、キルケーは魔性の存在である。
どんな行動原理で動いているかなど、人間の知るものではなかった。
紅葉はキルケーにそっと微笑んだ。

ドクター佐治が、猶の泊まっている病室に案内してくれた。
この病院は廃棄になった学校を再利用したものだが、入院患者のための病室も、教室や準備室などを改装しただけのものだった。

この病院は、ドクター佐治が自前の資金で開業したものだ。
佐治は連盟で修行したものだから、連盟の会員が多く利用しているが、病院自体は連盟のものではなかった。

ドクター佐治に案内されて、個室と表示された部屋に入ってみると、案外と良く出来た内装に驚かされる。
ドクター佐治がこだわって、資金をケチらなかった部分である。
落ち着いた、木目調の床と、壁も普通の病院と違って、落ち着いた感じの淡い茶色のものだった。
木と土の家をイメージしたのだと、ドクター佐治から聞いたことがある。

間仕切りがあって、それなりにプライベート空間が確保できるようになっていた。
他の入院患者は居なかった。
佐治は奥へと、窓際へと進んでゆく。
猶のベッドは窓際だった。
入院患者が一人も居なかったので、特等席なのだろうか。
鬼からの襲撃があることも想定したら、窓際は危険な気がする。
山田も中村紅葉もそう捉えたが、ドクター佐治にはなにか考えがあったのだろう。
猶の気持ちをリラックスさせてやろうとか、そんなところか。

猶はベッドの上に座って、夜空を眺めていた。
3人に気がついて、向き直る。
その目が異様に輝き、突然ケケケと不気味に口をひろげて、怪奇な音で、笑い声を上げた。
佐治が身構えた。
山田も紅葉も体勢を整える。

「ショックが始まりやがったな」
「ショック?」
紅葉が言う。
「人間の精神が魔に触れると、侵されるんだ」
「治るの」
「ああ治せる。だがこれは、どうしても2人の協力が要るかな」
佐治が、ゆっくりと心霊治療の体勢に入ったことが、中村にも山田にも感じ取れた。

「これからひと暴れしてもらうぜ」
ドクター佐治は2人に目もくれずに、猶を見据えて、言葉だけを2人に送った。
2人は無言で頷く。
山田も戦闘訓練は受けているし、修行時代は師匠について、実践をいくつも経験していた。
ただ、実力が一歩だけ及ばずに、実践部隊での活躍をすることはなかったが、普通の人間よりも場馴れしている。
中村紅葉に関しては、その実力は折り紙付きだ。

「何をやればいい?」
と、山田。
「術で縛り付ければいいの?」
今度は紅葉だ。
佐治は頷いた。
「2人掛かりで頼むぜ」
佐治が言い終わる前に、猶のからだが宙に浮いた。
「ケケケケ」
異様な笑い声と、気の流れが辺りを包む。
病室の照明が、チラチラと瞬いたかと思うと、点滅を始めた。
猶が攻撃を始める前に、ドクター佐治が動いた。
それと同時に山田正広と中村紅葉が動きを縛り付ける術を放つ。

戦闘が始まった。
2人掛かりで行動を縛っているのだが、それで緒はも猶はもがいて攻撃を仕掛けてくる。
紅葉は気配を感じて身を躱すと、背後の仕切りが裂けた。
間一髪と言った所か。
だが、紅葉の息は乱れなかった。

猶はまた、奇怪な笑い声を上げて、フーッと深く息を出し、また吸い込んだ。
これは発作のようなもので、一般的な戦闘とは違う。
紅葉もわかってはいたが、実際に見たのは初めてだったので、驚いてしまった。
山田も紅葉も、呪縛に集中した。

ドクター佐治は、両足を踏ん張ると、右手に気合いを込めて、右足を踏み出した。
それと同時に、右手で猶に掌打を打った。
さらに同時に気を乗せて、一気に流し込む。

猶が苦しげに呻いて、反対側から何か黒い影のようなものがゆらりと浮かび上がる。
まだか!
ドクター佐治は、さらに気を流し込む。
まだ効かない。

猶の反撃が始まった。
先ほどの見えない斬撃が、爪痕のように仕切りや壁、床を切り裂いた。
さしずめ沙都子や世機などが居たら、修理代が大変ね、などとジョークも出ただろうが、ここに居るのは、戦闘のプロではない。
とは言え、3人はギリギリのところで攻撃を避けることが出来た。
本当にギリギリだった。
佐治は、服の一部を裂かれて、皮膚からは少しだけ血が滲んでいた。
致命傷はないというだけか。

紅葉は咄嗟に山田をガードする術を放ったが、佐治にはほんの少し術をかけるのが遅れてしまった。
「すまねぇな、だけど、オレよりドクターを頼むぜ」
山田が顔を歪ませて、紅葉に向かって言う。
「わかった」
紅葉は猶を睨みながら、頷いて見せた。

この場の気が見える人だったら、猶の身体から紫色の淡い光が迸っているのが確認できるはずである。
山田からは赤い気が、ドクター佐治からは青い気が、攻防を繰り広げている。
紅葉からは透明な、少しだけ白っぽく見える不思議な靄のような気が、辺りを包み込むように伸びていた。

この場で一番の能力の持ち主が、隣にいる小さな女性だとは。
山田はチラと紅葉を横目で見たが、不思議と情けないとは思わなかった。
紅葉の弱いところも知っていたし、自分はそれをカバーする力を持っている。
山田はその事をわかっていた。
気合いを込めて、猶を押さえ込む。
根比べだな!
体力勝負。
山田やドクターは多分耐えられるだろうが、紅葉はどうだろうか。
能力は、彼女の方が上。
だが体力はどうだろう。
実戦経験が少ないのも気になるところだ。
山田は見かけによらずに、そんなことを気にかけられる策士タイプである。
頭で戦闘するタイプなのだ。

ドクター佐治が気を溜めているのがわかった。
一気に勝負をかける気だなと言う事が、山田と紅葉にもわかった。
時間稼ぎ。
紅葉がさらに呪縛を強める。

それでもまだ、猶は抵抗して、呪縛を解こうと暴れ回る。
普通の鬼ならば、これだけやれば黙らせられる。

「ありがとよ」
ドクター佐治が言うと、猶を殺してしまうのではないかと言うほどのフルパワーで、気を乗せた掌打を打った。
また、反対側から黒い影が浮き上がる。
今度は猶の身体から引き離すことが出来た。
影がなおも、猶の身体に取り憑こうと、張り付く素振りを見せる。
ドクター佐治は大きく息をすると、さらに気合いを込めた。

佐治の一撃で、紫色の猶の気が影を包むように伸びて、影を呑み込んで消滅させてしまった。

身体から流れ出ていた気は治まり、猶はベッドの上に崩れ落ちた。
床に落ちないように、ドクター佐治が手を差し伸べた。

彼女を寝かせつけてから、佐治は大きく溜息をついた。

「鬼のパワーと言うよりも、この子の力だな」
佐治は誰にともなく呟いた。
「紅葉ちゃんには劣るが、凄いパワーだな」
佐治は言ってから、脱力して、近くにあった椅子に座り込んだ。
「今日はもう大丈夫だよ」
「今日は?」
山田が言う。
「変なのが襲ってこないかぎりという事だよ」
佐治は言って、苦い笑いを見せた。

佐治やキルケには防ぎきれないって事か。
山田は紅葉の方を見る。
「ラーメンと餃子の店ならば、この近くにもある」
紅葉は山田の言っている事を察して、少し考えてから返事をした。
「出前は頼めないの?」
山田はフッと笑って、ドクター佐治に視線を向けた。
佐治は山田の意をくみ取って、意地悪く笑った。
「病室でイチャつくなよ?」
紅葉が真っ赤になって全力で否定したものだから、山田はほんの少し心に傷を負った。
その様子を見て佐治は、「すまねぇ」と言って。頭を掻いた。

如月淳也は車を運転しながら、今後の自分たちの方針を考えて見た。
だが、運転中のこともあり、あまり集中できなかった。

如月順子は淳也に運転を任せながら、自身は窓の外を眺めながら、思索に耽っていた。
協会は、里神翔子に対して、順子達が思うよりも寛容な処置を求めてきた。
警察に引き渡すのではなく、自分たちで捕らえよと言うのである。
何故かという事は明らかにはならなかったが、里神がテロリストと行動を共にするようになる切っ掛けが、協会になるという噂もあったことから、そのような事実を隠蔽するためのものなのではないかと、淳也などは考えているようであった。

如月順子もその辺りのことは気になったが、むしろ里神翔子の事について、個人のことについて興味があった。
里神順子。
腕の方は確かなようであったが、協会からの情報は、隠蔽されているような気がしてならなかった。
年の頃なら自分と大差ない女が、どうしてテロなんかに染まっていったのか。
子供や連れ合いとの関係も言われていたが、勇名をはせた彼女が、本当に宗旨替えするのだろうか。
順子にはわからなかった。
同性の順子にもわからないのだから、淳也にはわかるはずもなかった。

淳也は協会事務所に報告に変える前に、コンビニエンスストアに寄ろうと、車を走らせた。

7の文字の目立つコンビニエンスストあがあったので、そこへ車を止めた。
「何か買う買い?」
順子に促す。
順子は少し面倒くさそうな表情だったが、自分も降りて、食事や飲み物を購入することにした。
店の入り口付近には、未だに灰皿が設置されていて、何人かが店の前でタバコを楽しんでいた。

順子はあからさまに嫌そうな顔をして、タバコを吸う連中を避けて、店の中へと入っていった。
淳也はそんな順子を、微笑みながら見ていた。
淳也も、順子の後から、自動ドアをくぐると、店内に入っていった。

淳也が店内を見回すと、見知った顔が1つだけあった。
淳也は順子を小突いて注意を促す。
相手は順子も見知った顔であった。

前の事件での関係者だった。
当時は18才の女の子であったのだが、3年経った今は、妙齢の女性に変身していた。
まぁ、化粧が上手くなったと言ったところだ。

雑誌を立ち読みしているところへ近付いていって、二人して声をかけた。
「相良さんですね」
「お久しぶりです」
如月兄妹が言うと、相手は今初めて気が付いたようで、声をかけられたことにも驚いて、ビクリと肩をふるわせた。
「お久しぶりです」
相良と呼ばれた女性が、マンガ雑誌から視線を離して、二人の方を見た。
身長は廃りと同じくらいの、女性としては高身長で、モデルも勤まりそうなスタイルだった。

淡い水色の上着に、ジーンズがよく似合った、モデルでも務まりそうな美人だった。
「あのときはお世話になりました」
相良さんが言い、頭を下げた。
如月淳也と如月順子は、「失礼しました。では、お元気で」と言って、一礼して、相良さんから離れた。
その際に、相良も一礼して、また、雑誌の立ち読みに戻った。

「相良さん、美人になったね」
順子は淳也に言った。
もちろん揶揄う調子が含まれていた。

淳也は否定したが、相良さんが淳也の好みのタイプであることは、身近にいる順子が一番よく知っていた。
淳也と順子は、それそれに別の種類の弁当を買い、急いで車へと戻った。

「協会に行って、休憩室で食べよう」
順子が言う。
「そうだな」
淳也も相槌を打った。
淳也は車を教会の建物に向けて走らせた。


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