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IBSでHSPな私の奮闘記 3

三条さん、参上!

みなさん、こんばんは。
三条と申します。
本日もご訪問いただき、ありがとうございます。

今回は、奮闘記の続きのお話です。
ようやく本編に入ることができます。
前置きが長くなってしまい、申し訳ございませんでした。

今回も、自分の中で感情や思考を整理しながら綴ろうと思います。

また、これまで通り、あくまで私の主観的な内容です。
全ての方に当てはまる、ということではないため、あらかじめご了承ください。

それでは、早速本編に入りましょう。


▷私がIBSになったお話

無事に中学校を卒業し、高校生になりました。

私が通う高校は、自宅から自転車で15分くらいの所にありました。
道中は畑や民家ばかりで、コンビニは学校の近くに1軒あるくらいでした。
(この唯一のコンビニも、現在は無くなってしまったようです)

高校に通い始めた頃は、この通学路に後々悩まされることになると思っていませんでした。

さて、高校に入学する前に、実力テストのようなものが行われました。
このテストの点数を基にして、クラスの振り分けを学校側で行なっていたのかなぁ、と今になって思います。

そのテストで、数学が学年1位という、なんとも嬉しい出来事が起こりました。
中学生の頃は勉学がさほど楽しいとは思っていなかったため、この出来事がきっかけで中学時代よりは勉学に励むようになりました。

入学式を終え、それぞれのクラスに分かれ、ホームルームの中で自己紹介をし、それとなくクラスメイトとも仲良くできるように思いました。

しかし、小学生の時にいじめられた経験や、中学生の時のお腹が鳴るのが嫌、というのは未だに私の中にあります。
これからの高校生活を楽しみに感じると同時に、不安も襲いかかってきました。

それからの日々は、これまで同様、人間関係はそれとなく付き合い、授業中はお腹が鳴らないように努めました。

そして、高校生になって初めての中間テスト。
はじめに数学が学年1位を取ったことをきっかけに勉学に励んでいたため、クラス内でも総合順位で上位を取ることができました。
それを機に、クラスメイトから「私=真面目」というレッテルを貼られたように感じます。

そしてテストを終えると、初めての文化祭がありました。
私の高校は、文化祭で1年生は合唱のみ行う、というルールがありました。
クラス内でピアノを弾ける人がいなかったため、当時ピアノ教室に通っていた私が担当することになりました。
私は保育園の頃からピアノ教室に通っていますが、ピアノはあまり上手くありませんでしたし、1曲を習得するのに結構な時間を要します。
そのため、とても不安でした。

クラス内で合唱の練習がある時、まだ曲を習得できていない私は、クラスのみんなから責められるようになりました。
中でもクラスの子に言われて記憶に残っている言葉は、「頭がよくても、ね」という言葉です。
頭が良くても合唱曲が弾けないようなら、あなたなんて価値がない。
そう言われているように思いました。

そこから必死に曲の練習をし、文化祭当日までにはなんとか弾けるようになりました。
しかし、このことがきっかけで、どんどん自信をなくしていきました。

自信はなかったものの、勉学を怠ることはありませんでした。
その後もテストがある度に上位の成績を残し、「私=真面目」というレッテルはそのままでした。

季節が過ぎ、そろそろ1年生も最後のなり、進級が迫っていた頃。
それは起こりました。

いつものホームルームの時間でした。
いつも通り、先生の話を聞き、あと少しでホームルームも終わるな、と考えていた時、急激にお腹が痛くなりました。
みなさんも経験したことがあるかと思いますが、お腹を下してしまった時の、お腹の嫌な感じと痛みと、冷や汗です。
これまでにこの経験をしたことは何度かあり、我慢した時もあれば、トイレが場所的に近くにあったため駆け込むこともありました。
そのため、この時も我慢しようと思えば我慢できたのだと思います。
しかし、頭の中はすでにパニック状態。
どうしよう、お腹痛い、お腹下したみたい、先生に言ってトイレに行かなきゃ、でも静かな教室で教壇にいる先生の所まで行って「トイレ行ってきます」と言うのが恥ずかしい、どうしよう。
この時、我慢する、という選択肢が私の中から抜け落ちていました。
結局、先生の所まで行き、トイレに行く許可を得て、トイレに直行しました。
トイレに着くまで緊張で震えが止まらず、便座に座りながら恥ずかしさやトイレに行けた安堵感、この後どんな顔でクラスに戻ったらいいんだろうという不安感やらで涙を流しました。
どんな風にクラスに戻ったのか、それは思い出せません。

この日を境に、私の生活が崩れました。

▷今にして思うこと

テストでいい成績を取ったことは嬉しかったのですが、それが「私=真面目」というレッテルを貼られ、プレッシャーを少なからず感じていました。
元来完璧主義な面もあるので、そのイメージを崩すことが怖かったのだと思います。
思います、というより、今現在もそう感じています。

きっと、周囲の人たちは私のことをあまり気にしていないのだと思います。
しかし、他人の前では完璧でいたい、ダメなところを見せたくない、とどうしても思ってしまいます。
他人から期待されたり何かを任されたりすることは、もちろん嬉しいという気持ちもありますが、それが失敗してしまったとき、うまくいかなかったときのことを考え、他人が私に対して失望することがとても怖いです。

今回のお話の中で、合唱曲の伴奏を頼まれた部分がありましたが、まさにそれです。
みんな最初は、「ピアノ頑張ってね」と声をかけてくれましたし、期待の眼差しを向けられました。
しかし、私が弾けるようになるまで時間がかかると分かると、その期待は失望に変わり、責めるような眼差しになりました。
その変化が、とても怖かったです。

他人の期待が失望に変わる経験をしてしまったため、お腹を下してしまったとき、頭が真っ白になりました。
伴奏の件で失望されているのだから、もう大して気にすることはないんじゃないのか、とも思いますが、このときの私は、さらに失望を重ねることが怖かったです。
「私=真面目」
そんな人が、授業中にお腹を下してトイレに行く。
お腹を下すというだけで恥ずかしいのに、先生に許可を貰いに行かなければトイレにも行けない。
しかも授業中という、自由が効かない空間で。
恥ずかしい、みんな私を見ないで、恥ずかしい、恥ずかしい。

今でもIBSに奮闘しているため、その思いは続いています。
完璧主義な面や、他人が私を見ているという自意識過剰(?)すぎる面がもう少し和らげば、少しは楽になれるのではないか、といつも考えています。

▷それでは、また次回

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

まだまだ寒い日や風が強い日が続きますので、みなさん体調にお気をつけくださいね。

それでは、また次回の記事でお会いしましょう☺︎

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