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宗教と幸せ

私は宮古島出身の母と栃木出身の父の間に生まれた。

産まれ落ちたのは宮古島。

父親は創価学会会員だった。

私が5歳の頃に離婚をした。

私の父親はとんでもないやつだった。

栃木県出身、親は会社の社長でボンボンだった。

しかし彼が高校生の頃に父親が亡くなり、

会社を継げるわけでもなく、高校卒業後に

芸能人を夢見て、上京。

ボンボンだったこともありやり切る根性もなく挫折。

おそらくそこらへんで創価学会に入会。

何があったか、沖縄に移住。

そこで1回目の結婚。

一人の子供をもうけたが、

私の母親と知り合い、おそらく色々あり離婚。

母親曰く、結婚していたことは黙っていたそうだ。

2回目の結婚が私の母で、すぐに姉が産まれ、

年子で生まれたのが私だ。

小さい頃の記憶が今でもある。

創価学会の会合に連れていかれた帰りの夜の道。

創価学会のチラシや公明党の議員のチラシのポスティングを手伝わされてポストに投函していた何か後ろめたい気持ち。

家は貧乏なのに、ローンで買った高い仏壇に毎朝手を合わせないといけない日課。

とにかく、暗い日々だった。

おそらく小さい頃のあの鬱屈とした自分が今でも自分の中にいる。

「宗教なんて糞食らえ」
「誰も幸せにしてねえじゃねえか」

この怒りがずっと心の中に残ってて今でも消えない。

色々あって、母親は離婚してくれた。

それには今となっては本当に感謝している。

虐待は当たり前、母親が夜の仕事で稼いできたお金をパチンコで一瞬でパーにする。そんな奴が宗教の熱心な信者なんだから。

幸せになりたい。

誰しも思うことかもしれない。

けれど、それはきっと外の世界には無くて、

自分の足元にしかないんだと思う。

幸せって与えられるものじゃなくて、

きっと、気づくことだと思う。

だから宗教は絶対に自分にとっては外のことでしかない。

私の家族が宗教で救われなかったように。

家族は宗教で守ることはできない。

家族を守りたいって一心に思い、自分自身と向き合い

足元にある幸せに気づける人にしか守れない。

そう思っている。

私の怒りの根源は

そういった宗教に苦しめられている

2世たちに対しての部分が大きいんだと思う。

私は幸運にも5歳に抜け出すことができたが、

抜け出すことができず、子供から大人まで育った子供たちのことを思うと

本当にいたたまれない気分になる。

なにせ、5歳の私の宗教に対しての嫌な気持ちが

30年以上もたった今でも沸々と怒りとして湧いてくるぐらいなのだから。

人生を台無しにされたって思うことなんて

至極真っ当な思考回路だと思う。

創価学会は統一教会に比べて

訴訟を起こされて、困っている信者っていうのは

ほとんどいないらしいけども、

確かにそうかもしれないけれど、

私が一貫として変わらない、変えたくない思いは

家族を守るのは宗教ではないってこと。

家族を守るのは家族のこと一心に考え、

自分自身と向き合う一個人であるということを。

幸せは宗教では実現できない。

世界平和家庭連合?

家庭が大事なら宗教やめさせれよ。

宗教に没頭させるなよ。

自分自身、自分の家族に没頭させろよ。

ふざけろ。

その団体の本質を隠すために

人間にとって、一番大切な居場所。

「家庭」を名称に取り込んで

実際にはその居場所を失って

崩壊させる。

そんな輩に政治家も支配されてるんだって。

ほんとふざけるな。

まずは本当に気づいてほしい。

宗教では人は幸せになれない。

自分自身と向き合うことでしかそれは

手に入れることはできない。

だからこそ尊いものなんだと。






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