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アーカイブ:デマが生まれる心理(JES通信【vol.113】2020.3.10.ドクター米沢のミニコラムより)

 JES通信コラム、コロナ・アーカイブの第2回です。第1回はこちらをご覧ください。主に企業のBCPの観点からコラムを書いてきましたが、その妥当性はどうであったのかを改めて確認したく、産業ダイアローグ研究所noteを開始する2022年3月以前に配信したコラムを読み直す作業をしております。


アーカイブ:デマが生まれる心理(2020.3.10.配信)

●「思い込み」はどのように生まれるか

 東日本大震災のような大規模災害や、今回のコロナ問題のような社会的影響の大きい事象や事件などが起こると、かなりの頻度でデマや風評被害が発生します。その背景には我々の不安や恐怖、またはそれらを否定しようとする感情に基づいた瞬時の思い込みによって生じるバイアスが存在しています。コロナ問題に関する報道やネットニュース、またそれに対するコメントやSNSには、こうしたバイアスがかかったものも少なくありません。
 たとえば2月に北海道の20代女性が重体というネットニュースが流れたのですが、そのニュースに、「若い世代が悪化しないと言う話は信用できなくなった」というコメントが付いていました。しかし「若い世代は悪化しない」と断言した専門家はいないはずです。中国での確定感染者44,672人の調査では10代から30代の致死率は0.2%と言われています。
 これが多いか少ないかは比較の対象次第ではありますが、多くの人は1,000人に2人なら少ないと考えるのではないでしょうか。専門家はこの数字を踏まえ「若い人はまず大丈夫です」、あるいは、さらに短く「若い人は大丈夫」と言ったかもしれません。このコメントを「若い人は100%大丈夫」と受け取ってしまった人が先のようなニュースを見ると、「嘘じゃないか!」となるわけですね。

●認知のゆがみ

 我々の感情は出来事そのものによって起こるのではなく、出来事をどう認知したかによって決まります。その認知の仕方には各人の癖があり、それを「認知のゆがみ」と呼んでいます。認知行動療法家のバーンズはよく見られる認知のゆがみを10種類紹介しており、上記の思い込みを分析するのに役立ちます。

◇認知のゆがみ 10のパターンとその例
1.全か無か思考(白黒思考、二分思考):「コロナはマスクで防げる/防げない」
2.過度の一般化:「専門家は大丈夫としか言わない」
3.選択的注目:「また死者が出たからもうダメなんだろう」
4.マイナス思考:「治った人は運が良かっただけだろう」
5.結論の飛躍:「マスクが買えなかったらもう終わりだ」
6.拡大解釈と過小評価:
  「もういたる所に感染者はいる(拡大解釈)」
  「今さら対策を取ったって意味がない(過小評価)」
7.感情的決め付け:「あの評論家は嫌い。どうせまたいい加減なこと言っているんだろう」
8.すべき思考:「こういう時のイベントは自粛すべきだ」
9.レッテル貼り:「役所のやることはあてにならない」
10.個人化:「私の心がけが悪いからこういう災いが起こるんだ」

●得られる事実を元に考えよう

 先述のような、一例を取り上げて全部ダメだと思い込むのは「過度の一般化」でしょうし、「若い人は大丈夫」と信じてしまっていたとすれば「全か無か思考」の傾向が強いかもしれません。コロナ関連で言えば、特に全か無か思考、過度の一般化、結論の飛躍、拡大解釈と過小評価、感情的決め付けがよく見られるように思います。SNSは速報性が高いのですが信憑性に劣ります。新聞記事やネットニュースには刺激的なタイトルが付けられることが多いので、タイトルを鵜呑みにせず本文を読んで事実を確かめることが重要です。何よりも日ごろから信頼できそうな情報源をできれば3つくらい持ち、情報を比較検討することをお勧めします。
 そして最後に大事なことを一つ。1日のどこかでニュースやスマホから離れ、まったく別なことをして過ごす時間も作ってください。大量の情報からいったん距離を取ることで気持ちや考えに余裕が生まれます。心とからだの緊張を解くことも、事態が長期化しつつある今の時期にはとても大切なことだと思います。
 
++++++++++ コラムはここまで ++++++++++

コメント

▼「認知のクセ」からデマを考えてみた

 2020年2月中旬から3月上旬にかけての時期です。からこの頃はネットで飛び交うデマが気になっていたようです。まだフェイクニュースという言葉が出てくる前ですね。ネットニュースに付くコメントを見て、この内容にどうしてこういうコメントが付くのだろう?と不思議に思うことがたびたび起きました。タイトルだけ見て早とちりする人もいたと思いますが(私もたまにやっちゃいます)、一応は読んでいるけれど、自分の思い込み(認知のクセ)で判断しているんだろうなあと思えるケースもたくさんあったのです。それで精神科医としては馴染みの「認知のゆがみ(クセ)」(認知行動療法)で考えてみました。

▼「認知のクセ」(バイアス)は誰にもある

 それまで「認知のクセ」について考えるのは、うつ病や適応障害の患者さんが行き詰まった時や、思考の堂々巡りに陥っている時に、こういう思い込みはないですか?こういう風に考えてみたら違った側面が見えてきませんか?と提案する材料として使っていました。1月のnoteでご紹介した「虫退治」はまさしくこの作業です。
 それが、「病気じゃない人もバイアスだらけだ!」と気づいたのは衝撃でした。でも考えてみればそんなの当たり前です。もちろん私も含め、認知のクセは誰にでもあるのですから。そこからバイアスへの関心を深めることになり、たとえば「イラスト図解 デマの心理学:怖い群集心理のメカニズム」といった本も読んだりしました。
 「ゆがみ」という言葉はあまり気分よくないですね。正しいものがあってそこから外れているみたいなニュアンスです。人の認知の仕方はそれぞれ。受け取り方の多数派少数派はあるでしょうが、正しいも間違っているもないと思います。ただ、割とこういう風に受け取ることが多い、みたいなことは言えるので、「認知のクセ」と呼ぶのがいいかなあと今のところ考えています。

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