「ミナリ」を通してまたまたユチョンのことを考えてしまいました・・
久しぶりの投稿になります。
焼肉屋を辞めて色々バタバタしていました・・
その間ユチョンの日本来日がありました(勿論行きました!!)
でもそのことをレポする気にはなりませんでした。
凄い楽しかったし、終始笑顔のユチョンを見れるのは本当に至福な時でしたが、やはりファンミよりコンサートの方が好きだなあと改めて思ってしまいました。そして
その時に僕は「演者としてのユチョンをみたい」ということを自身で再認識しました。
それは役を演技しているユチョンということではなくパク・ユチョンがユチョンという被写体を演じていることにも通じます。
やっと「ミナリ」という映画を観ることができました。
Netflixでやってくれました・・感謝です
非常に地味な映画です。盛り上がりなんてなく淡々と移住した韓国家族の生活が綴られていきます。(映像やカメラワーク・音楽は最高に良かった
映画と添うとはこのようなことだと思います)
ネタバレになるので詳細は語りませんが
僕は日本人で日本で暮らしているので移民の事など理解出来ません
なのでアメリカ人が感じたであろう感じ方をすることは出来なかったと思います。ただここで感じたのは「生きる」ということです。
僕はただの労働者です。働いて働いた分だけ賃金を会社から頂いています。
そんな安定しているように見える僕でも「働いて生きていく」のは楽ではありません。同じ労働者の方なら共感してくれると思いますが・・
その安定もなく アジア系の移民達の苦労なんてものは僕じゃ計れない位のものだと思います。
でも
僕が感銘を受けたのは作品の内容ではなく役者達の演技でした。
ユチョンとヘムで共演したハン・イェリ 韓国系アメリカ人のスティーブン・ユァン 息子役のアラン・キム みんな素晴らしいの一言です
特にハン・イェリのアップでの表情はカメラワークも含めて観客をその役の「家族を守り生きてゆく」という感情に引き込む力がありました。
作品内に役者が配置されているのではなく
時に
演じるというのはその役者さん達の力で作品を作るのだと思います。
パク・ユチョンが演じる何かを僕はみたい
そこにいい脚本や恵まれた環境がなくても
大金をはたいたプロモーションがなくても
彼の声
彼の一挙一動が力となり作品を作っていく
僕はそれを強く願う