誕生日おめでとう!
誕生日おめでとうございます!
今日、あなたは26歳の誕生日を迎えました。
25歳の一年間はどんな一年だったかな?
26歳っていよいよアラサーですね。
大学も22歳で卒業して、社会人になって4年目の人が多いと思います。
もちろん20歳で卒業して社会人6年目の人もかなりいると思います。
まあ26歳であることには変わりありません。
そこで!今日は僕が26歳を迎えた心境をここに綴ります。
非常に厚かましいですね。(笑)
今日26歳を迎えた人のために
これから26歳を迎える人のために
26歳の気持ちを思いだしたい人のためにも。
26歳を迎えた僕の心境。それはズバリ!
「立派に大人になったな」。
改めて恥ずかしいですね。(笑)
こんなでも立派な大人と言わざるを得ませんから。
これはきっと僕が人からの評価を非常に気にして普段生活しているからだと思います。
その他にも、僕が身体的に年齢を実感することが増えたこともあります(笑)
人からの評価を気にしながら生活するってすごく疲れますね。
自分の行動や言動に対して、たとえ自分の嫌いな人からの一言でも一喜一憂してしまう。
僕の人生にとってどうでもよくて全く大切な人でなくても、小さな一言に心を傷つけられてしまう。
そしてそれを繰り返すことで鉄の心を育てる人も沢山いることでしょう。
一方で僕が一言で傷つくような繊細な心を持ち合わせられるのには大切なことが二つあります。
それは、
①学生時代の気持ちのまま同じ時を過ごせる仲間をもつ
②知識・知恵を味方につけながら感覚を尊重する
の2つです。
まずは①について。
これは会う頻度に関わらず、特に話すような内容が無くても会いたくて
時間を一緒に過ごしたいと思える。
そして何より、この人たちにしか見せれない秘密の自分が居ること。
日頃、人からの評価を気にする自分にとって非常に大切なデトックスです。
そして何よりもありのままの自分の感性を尊重しつつ、はぐくむ環境が26歳になった今でもあるから。
だから僕は僕を見失うことなく、生きていけます。
自分に向き合えるのは、人の助けがあってこそです。
そしてこの仲間は僕を素直に褒めてくれる。
これが素晴らしく自己肯定感を上げてくれる。
SNSが普及したいま、自己承認欲求を満たすことはあたかも恥ずかしく言われてることが多い。
自分を認めてもらわなくても、否定されても、何を言われても
自己主張をせずに我が道をゆくことが美徳とされている。
確かにそれも素晴らしいかもしれない。
貫ければとってもかっこいいと思う。
でも僕は正直そこまで強い心を持ち合わせていない。
きっとその域に達するまでに心が壊れてしまう。
そうならない為に彼らに頼っています。
次に②について。
こちらは①がある前提での話になりますが、
僕は感性は知恵と感覚のハーフだと思ってます。
どちらかに偏りすぎてもいけない。両方備わって初めて本領を発揮する。
もちろんたった1%の努力でそれを発揮できるならばそれに越したことはないかもしれません。
しかし僕はそれでは自分が満足しないのです。
人間案外自分が本当に幸せを感じるために生活していません。というか
自分で自分を幸せにする術を持っていないのです。
一見簡単に聞こえるかもしれない。
自分のことは自分が一番よくわかっていると仰りたいかもしれない。
しかし、言語化できる人は少ないのです。
感覚を詳細にコトバに変換するのは非常に複雑な操作です。
そしてそれを自覚できることはさらに少数です。
自己満足に奔走すると聞くと一見とんでもなく自己中心的に感じるかもしれない。
しかし一方で、その分人には迷惑をかけていない。
なぜなら自分の手で自分を幸せにできるから。
最近はやりの漫画でも冒頭に、生殺与奪の権を他人に握らせるな!なんて言ってましたが、まさにその通りです(笑)
自分の手で自分を幸せにできる事はすなわち自分の幸せを他人任せにしないこと。
故に自分が不幸と感じてもそれは自分で解決できるので、不幸に感じること自体が楽になる。
だから自分を幸せにしてくれる音楽も美術も建築もより好きになって楽しむための、これらの知識を身に着けるのです。
そうして、自分の大切なものを大切にしていく。
故に感覚を尊重しながら知恵と知識で補強する。
それが自分の幸せにつながります。
自分にとっての幸せも大切なものも人ぞれぞれだと思う。
其々に合った形が存在すると思う。
だからそれに最適な形で間接的でもいいから自分を大切にしてください。
以上、26歳も楽しんで!
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