人生は自分で作れる#21
10代謳歌したから後悔ない
そう、友人が言った。
20年間を一言で表すと「無」だと思っている私には、衝撃的な言葉で、かっこよくて、心に刺さった。
私が「無」というのは、何にも興味を持たず、何をして生きてきたのかわからない状態だったこと。
ゲームもしなければ、本も読まないし、テレビもあまり見ないし、ほとんど遊びにも行かない、習い事もしたことがない。ただただ学校に真面目に通って、ご飯食べて、お風呂入って、寝るみたいな、本当に必要最低限のことしかしない。
今でも苦手な質問は「普段何しているの?」「休日何しているの?」
結論から言うと、「・・・何してるんだろう」と答えてしまう。
何かはしているでしょ、何もしていないなんて変だよね、何しているんだろう。と自問自答し始める。
毎回のことだけど、答えは見つからない。
一生懸命生きていれば、いつのまにか日が暮れ、ご飯の時間がやってきて、お風呂に入って、一日が終わっていく。
大学生になるまでは、家事もほとんどしたことがない。
小さなお手伝いはするけれど、親が専業主婦でいたから、困ることがなかった。
質問してくれる方に申し訳ないし、自分が意味わからなくて悔しいけど、本当に、何もしてこなかったんだよね。
何もしてこないというか、目の前のことに興味がなかったのかもしれない。
いっそのこと、何にも興味を持たないほうが楽に生きられると思っていたような気がする。
厳しい家庭で、ゲームは買ってもらえないし、自分の足で買い物行ける場所内からお小遣いもないし、友達と遊びに行くには送迎してもらわないといけない距離だし、、、でもみんなから変わってるって思われたくない。変に知ったかぶりするくらいなら、何も知らないほうが「わからない」と笑ってごまかせるから楽だったんだろうな。
あの生活には戻りたくないけど、子供なりに毎日を楽しんでいた。
今振り返ると「無」だし、そういう振る舞いをしてきたも子供なりに考えた行為だったんだと思うだけ。
あの時はあの時で精いっぱい生きてて楽しかった。
そんな暮らしでも20年間生きられるという私の中の指標にもなっているかもしれない。
私がもしやりたいことがなくて、ぴんと来ていない会社に勤めたとしても、それなりに一生懸命、その会社で働くだろうし、その環境のせいにはしないと思う。
ある意味、何もなくても生きられる人間なのかもしれない。
だけど、やっぱり20年間振り返ったときに、すごい薄い時間だったと、自分で思ってしまったのがすごく悲しかった。
だから、友人が「10代謳歌した」と言っていた時、すごくうらやましかった。
私も「30歳になったときに、20代謳歌したから、悔いはない」と言えるようになりたい。
思わず、そう友人に宣言していた。
残り、9年半、私はどう過ごすのだろうか。
自分の意思で選択して、動いていればどんな時間であれ、満足できると思う。
だから、今日も自分の心に向き合いながら、進んでいく。
自分の人生くらい、面白がって生きたいもん。
by21歳の自分
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?