育児や保育って、手早い方がいいと思ってた。
育児や保育において、『早い』ということがマイナスになることなんてあるのだろうか。
世の中、家事も育児も、時短、簡単、手早く、が多すぎて、うっかり私は、それに乗っからなければいけないような気がしていた。
てきぱきと仕事をこなし、子どもと上手に遊び、家事もてきぱきこなす脳内ワーママイメージは出来上がっているものの、元来ものぐさでのんびりやな人間なもので、要領のよい人を見ると、落ち込むし、もっと頑張らなければと思ってしまう。
でも、どんなに頑張っても、遅い。
そんなとき、前の職場(保育園)の先輩がいった言葉を思い出す。
ベテランで、何でもてきぱきこなし、周りが見えていて、よく動く。
そんな先輩が言ったのだ。
「私ははやすぎるから、赤ちゃんと接するときには、先生のゆったりとしたペースが良いんだよ」
と。
正直、私はまたまたぁ、と思っていた。
だって、今だかつて、早いよりゆっくりの方がいいなんて、考えたこともなかったし。
子どもの頃から常に、
足は早い方が一位になれたし、
てきぱきできた方が料理は美味しいし、
準備が早い方が他のことできるし、
早く早くと言われて育ってきた。
要領良いに越したことないし、
きびきびした当の先輩は、誰からも尊敬される、人だった。
早すぎる、何てこと、そんなことがマイナスになることがあるのだろうか。考えたこともなかった。
遅いということを、「ゆったりとしたペース」というポジティブワードに変換していただき、なんというか、今まで、陽の目を見なかったネガティブ部分に暖かい光を当てていただいたような眩しさがあった。
先生ったらなんて優しい。
ところが、そんなとろくさい私でさえ、あ、早すぎるな、と、反省した出来事が、つい最近起こったのだ。
先日、働いている子育て支援施設で、ふとしたきっかけで、自分と10ヶ月の赤ちゃんが遊ぶ動画を撮る機会があった。
短い動画だった。
10ヶ月の赤ちゃんは、這い這いをして、鏡見て、近くのおもちゃクシュクシュして遊んでいた。
で、私も一緒に目線を合わせ、赤ちゃんと遊ぶところを、ママに撮ってもらったのだが……。
後で見て、自分の動きが気になって仕方ない。
赤ちゃんが鏡を覗くと、画面の中の私が鏡でいないいないばぁをする。
赤ちゃんが鏡をさわると、とんとんと、叩いてみたり、叩ける箱を用意したりする。
鏡にはって剥がせるペタペタシートがはってあるのだが、
それを持ってクシュクシュさせて遊ぼうとする赤ちゃんを鏡遊びに誘う。
ようやく、クシュクシュ遊びしたい赤ちゃんに気付き、一緒にやる。
何て言うか、とにかく私の動きが先回りして、遊ばせよう遊ばせよう、盛り上げよう盛り上げようとして、せわしない。
赤ちゃんは答えてくれるし、反応してくれるし、笑いかけてはくれるのだが……
画面の中の私に話しかけられたら……
ちょっと、じっとして、赤ちゃんをもっとよく見て~!!やっていることを、もっと、赤ちゃんのペースで、共感してあげて~!!!
こちらが逆に遊んでもらっているようなのだ。
赤ちゃんのペースって、思っているよりも、もっと、もっとゆっくりなんだ。
まわりのひとがやっているのを見て、自分もやってみたいと思って、どうやるのかなと考えて、手を動かしてみる。
次々他のことをする大人がいたら、せっかくのやりたい気持ちが追い付けない。
それに、やってみて、大人がどう受け止めてくれるか、赤ちゃんは待っているのだ。
もっと、ゆっくり。
ゆっくり。
受け止めて、一緒に楽しめばよかった。
てきぱきこなすことが良いことだと思っていたら、きっとそれでは見えないものがある。
赤ちゃんのゆったりとした表情の変化。
興味、関心。
赤ちゃんなりの気付きや工夫。やりたいこと
あ、この子。
鏡で遊ぶより、今は貼ってあるシートがクシュクシュ音がすることに気がついて、何度も試してみて、その子の発見に共感してもらうと嬉しいんだな。まだほんの10ヶ月なのに、自分で遊びを見つけて、やってみて、私をみて、見せてくれている。
赤ちゃんの思いを想像しながら、行動をじっくり観察していくと、本当に感心してしまう場面に出会えるようになる。赤ちゃんてすごいなーと思うようになる。
それって、めちゃめちゃ面白いんだよなぁ。その子のことをグーッと知っていく、楽しみ。小さな子でも、ちゃんと意思がある。
次々遊ばせようとしなくて良い。
もっとゆっくり。
ゆったり関わろう。
動画を見ながら反省したのだった。