帰り際、彼女は私に「See you soon」と言って、いつまでも手を振っていた。
約6年前、公務員時代の同期会に出席した。
病気になってから、3年ほど経った頃で、まだ心臓リハビリをしていない時期。
自分が、どれだけ歩けるかわからない、不安を抱えていた頃だった。
仲の良かった同期から連絡をもらい、私は出席をすることにした。
それは、「みんなに会えるのは、これが最後かもしれない。」
そう思ったからだ。
病気になってからは、「いつか」ではなく、伝えたい時に伝える、会いたい時に会う。
そう決めたのだ。
それまで、家族の誰かに付き添ってもらって外出していたが、当日は父に会場まで送ってもらい、帰る時に迎えに来てもらうようにした。
家族の転勤で、様々なところを巡り、すっかり都会から離れていたし、街の中心部に出ることもなかったし、夜の街に行くことも久しぶりだった。
もうこの人生で、街中に行くことは二度とないだろうと思っていたくらいだ。
医師と家族以外には、ほとんど会っていなかったので、緊張し過ぎて倒れるんじゃないかと思ったほどだ。
でも安心した。みんな、何にも変わってない。あの時のままだ。よくしゃべるわ、よく食べるわ、よく飲むわ。
変わったのは、私の体だけだった。
でも、塩分制限がある私のために、焼肉としゃぶしゃぶにしてくれていたことが嬉しかった。
タレは、自分用のものを持って行ったし、みんなが自分の近くにある、焼肉を巻く葉っぱ(なんて言ったっけ?)を私に、「これなら食べられるでしょ?食べな、食べな。」と譲ってくれた。
私の横に座ったのは、人気者で車もバイクの運転も抜群の彼女だった。見た目は、宝塚の男役のような感じかな。長身で小顔で目がクリッとして可愛い。(『Y』と呼ぶことにする。)
みんなも会うのが久しぶりのようで、盛り上がっていたけれど、私は以前のように、同年代と同じテンションで話すと、息切れがしてしまうし疲れてしまう。
「やっぱり来ないほうがよかったかな。」と、隅っこでひとりで焼肉を食べていたら、色々な人のところに行って、少しへべれけになったYが、私の隣の席に戻ってきた。
私は、教官がYに対して、「お前、今の仕事のほうがよかったじゃないか。」と、話しているのを聞いてしまった。
そして、その時のYの表情も見逃さなかった。
「Yは、本当は辞めたくなかったのだ。」
私にはそう見えた。
あのクソジジイは、あの仕事で『円満退社』と言ってそうではないことが、わかっていないんだな。
Yは、何事もなかったように、『自分が登山をしていること』、『バディを探していること』、『今度また山に登るから、訓練をしていること』を話してくれた。
そして、私の病気のことを全く怖がらずに、どんどん聞いてくれたのだ。
私はびっくりした。
というのも、この病気になってから、『可哀想』だの、『怖い病気だね』だの、『私、人間ドック行かなくちゃ。』だの散々言われ、友人は離れて行ったからだ。
なんとなく暗い表情をしているYに、私は『今、この人に伝えなければならないこと』を話すことにした。
「旦那の転勤先で、Yの元同僚たちと飲む機会が結構あって、◯◯係長や◯◯さんがあんたのこと、『あいつは、車に乗っても、バイクに乗っても一番だった。他に比べてずば抜けて上手かった』って言ってたよ。」と伝えた。これは本当に、私が自分の耳で聞いた話だ。
この話をした途端、Yの目に輝きが戻ったのだった。
「えっ!あの係長が?私のことをそんなふうに思ってくれていたの?」と。
Yが、何故その仕事を辞めたのかも、私は聞いていたのだけれど、それは本人に聞かないでおくことにした。Yを追い出した人間についても知っていた。
男社会の女は怖い。私もYと同じだったからわかる。
Yは、「そっか、そっか。そうだったんだ。そんなふうに思っていてくれていたんだ。私、今日それがわかってよかったよ。」と笑って喜んでいた。
まあそのあとも、話は盛り上がり、私も息切れしながらも、その時間を楽しんだ。
そしてお開きの時間。
「Kちゃん(私のこと)に会えてよかった。」と言いながら、病気のことも含めて普通に話してくれた同期たち。
「今は、現状維持してるんだね。」と「えっ!なんで知ってんの?」と思うような会話をし、私が傷つくであろう言葉や行動を一切しなかった。
私はその時に思った。「私が仲良かった同期4人って、私にとってなんだったんだろ。」
その同期会にも来なかったし、私はこの時その4人に、心の中でお別れをした。
みんなは二次会に行くらしかった。
私は飲むこともできないし、みんなに合わせて歩くことも出来ないので、その場で父に電話をしてお迎えを待つことに。
その前に、楽しすぎて我慢していたトイレが、もう我慢できなくて
「だめだ、もう漏れるかもしれん。」と言いながらトイレに向かうと、後ろから酔っ払ったYが「私もー!」と、走って私を追い抜かして行った。
トイレに入ると、個室は全て埋まっていて、空いた瞬間Yに先を越され、「ちょっとあんた、早くしてよね。」と言いながら空いた個室に入った瞬間、Yが酔っ払っていたせいか、他の個室から「Kちゃん、号令行くよー!ちー、にっ、さん!」と私に声をかけたのだった。
『いやいや、あんたここ公の場だぞ』と思いながら黙っていると、
「ちょっと!ちー、にっ、さん!だってば。」
と、やらないと終わらないな、と諦めたのだった。
Y「ちー、にっ、さん!」
私「いちけーつ!」
私「ちー、にっ、さん、しっ(ここは、4だったかも。)、ごっ!」
Y「まんっ!」
Yはへべれけてるけれど、私はシラフでやったのだ。
エレベーターを降りて、出口に向かう時も、Yは私の横から離れなかった。
そして酔っ払いながら私に言ったのだ。
「早く小久保のSTAP細胞出来るといいな。」と。
「それ、違うだろ。小久保は侍ジャパンだろ。」
と数回ボケとツッコミを繰り返した後、Yは言った。
「早く、再生医療が出来るといいな。ips細胞。」
と。
私は、泣きそうになった。身内以外で、この言葉を言ってくれた人がいただろうか。
この言葉が出る、ということは、Yは私の病気がどんなものかを、私と話している中で理解したのだろうか。
でも、再生医療の話はしていない。
外に出て、みんなは二次会へ。
私はみんなに「ばいばーい!」と別れを告げ、父が迎えに来る場所へゆっくり歩いていると、またYが私の後を追ってきたのだった。
「大丈夫たまから、早く二次会行きなよ。」と言うと、「いや、迎えが来るまでいるわ、私。」と。
それをまた繰り返していると、同期が7人くらい寄ってきたのだった。
実は私は、自分のカメラをカバンに入れていた。
「思い出に写真を撮ろう。」と。
しかし、カメラを持っていた同期の多いこと!
それですっかり私は、カメラを出せなくなっていた。
なので、私がカバンからカメラを出した瞬間、同期たちから「えっ!今!なんでさっきカメラ出さないのよー。」
と言われながらも、そこにいた同期と写真を撮った。
学校時代に戻ったような感じで、とても懐かしかった。
そして、父が車でお迎え場所に。
私は車に乗り、みんなに「じゃーねー!」と手を振りながらお別れを言った。
するとYは私に、
「See you aga、、、」
「いや、See you soon.」
と言い直したのだ。
その時の顔を、今でも覚えている。
泣きそうな顔をして、ずっとずっと手を振ってくれていた。
「See you again.」は、永遠の別れの時に使う。今後、もう二度と会えないかもしれない相手に対して使うらしい。
だからかな。海外のいとこの子供たちが、日本に遊びに来ていた昨年まで、私はずっとこの言葉を、お別れの時に言っていたら、不思議そうな顔をしていたのは。
そこはね、私が大人でも忖度しないで指摘してほしい。
「See you later.」は、「またね、じゃあね。」
そんなに遠くない未来で、近いうちに会う計画がある時に使うらしい。
「See you soon.」は、とても近い未来で、日付は決まっていないけれど、すぐ会うとき。
数週間後から数ヵ月後のイメージらしい。
Yよ、あなたはとても優しい人だ。意味を知っていて、言い換えたんだよね、きっと。
私が、どんな思いで同期会に行ったのか、あなたはわかっていたのだ。
そんなあなたが私は大好きだし、同期として誇りに思うし、あなたのような優しい人間でありたい、と強く思う。
私は、あなたに出会えてよかった。
Yよ、あれからあなたに会えていない。けれど私は、あなたが健康でありますように、大好きな登山を続けられていますように、と願っている。
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