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「団体競技じゃない、全部個人競技じゃん」と指摘され、そのことに最近気付いたのです。

ある日電話で妹と、やりたいこと、好きなこと等について話していた時だと思う。

私が、「ほら、私って団体競技していた人間だから。」と話したら、妹が、

「えっ!お姉ちゃんって、団体競技の人じゃないし、団体競技向いてない人でしょ。」

とのお言葉を頂いた。

「何言ってんの?剣道やっていた時、団体戦に出てたじゃない。」

と自信満々に答えた。

すると妹が、
「は?団体戦でも、試合する時は1対1で個人戦。それに、お姉ちゃんがやってきたものって全部1人だよ。」

ええええっ!そうでしたっけ?

そうだったろうか。私は剣道以外に、自分がやっていたものや好きなことを、頭に思い浮かべてみた。

習字、絵、ピアノ、マラソン、スキー、スノーボード、水泳、歌、、、、

ああ、確かに個人でやるものばかりだな。

球技は全く出来ないし、マット運動なんて、みんなに支えてもらったり、助けてもらったりしないと出来なかった。

えっ!マット運動が、私にとっての唯一の団体競技!

いや、そんなわけないけど(汗)。
ありがとう!みんな!おかげで私の体育の成績は『オール5』。みなさんのおかげです。って、どこかで聞いたことあるな。

剣道の大会には、「個人戦」と「団体戦」がある。
「個人戦」は、名前のごとく1対1で対戦する。
「団体戦」は5対5で、「先鋒、次鋒、中堅、副将、大将」と名前が付いている。
私はいつも、「次鋒」か「中堅」だった。

「個人戦」では負けても何故だか悔しくなかった。
でも、「団体戦」になると人が変わったように頑張ってしまうのだった。
「先鋒」は、だいたい剣道が上手くて、そのあとの流れに勢いがつけられるような人で、誰がなるかはいつも同じだった。

私は、剣道が上手くはない。だって、本当は入部したくなかったのだから。(そのうち、何故剣道部に入部したかを書く予定。)
剣道部の顧問にも、「この単細胞が!」と言われていた。→単純な人間だ、ということ。

ただ、とても負けず嫌いだったので、流れが悪くなり、負けそうになる前に出されたり、順番を変えられる人だった。といっても補欠ではない。

例えば、「先鋒」が勝つ。「次鋒」が負ける。私が「中堅」で出る。ということは、私を始め「副将」、「大将」の3人全員が勝たないと、次の試合に進めないのだ。ということは、私は必ず勝たなければならない。

しかし、「先鋒」が負けて、私が「次鋒」で出た場合。残りのメンバーと相手のメンバーを見て、「これは難しいかもしれぬ。」と思うと、絶対に負けるわけにはいかない。

こういう場面で、順番を変えられる人間だったのだ。

剣道は、「ヒャー!」のようなかけ声?を出すのだけれど、私の声は高くて調子が狂っちゃうのではないだろうか。
これも、顧問の作戦だったのか?
たぶん、相手が拍子抜けして、悪い流れがいい流れに変わったのかもしれない。

メンバーは仲間なんだけど、中には「負けちゃった。」と笑ったり、ツラッとして戻ってこられると、心の中で炎が燃え上がり、

「この、クソがーっ!負けて帰ってきやがって!」

と思うと同時に、

「絶対に負けてたまるか。私が敵を討ったるからな!」

と、まるで侍のように試合に挑んでいたと思う。侍が、そんな感じなのかはわからんけど。

団体競技が苦手だったから(球技)、個人競技をやったのか、個人競技のもので好きなことが多かったからかな。

ひとりのほうが楽だし、やっぱり好きなんでしょうね。
ひとりで集中して、考えながら黙々と練習をする、そういうのが好き。

ずっと繋がっているのも、群れたりもしない。
なので、みんなで仲良くトイレに行く、とかはない。

ひとり行動や、ひとり時間が好き。自分のペースで動きたいのだ。

何か意見があれば、集団で意見を言うタイプではなかった。相手が誰であろうと、ひとりで意見を言いに行く人だった。

妹に指摘をされて気付くくらいなので、私にとっては特別なことではなく、自然なことなのだ。
個人競技が。

この前、『私は、生き急いでいた。』というタイトルのnoteを書いたけど、団体競技を経験していたら、ずっとひとりで一生懸命頑張らずに、人に頼ることを、学んだのだろうか。それとも、「合わない」と途中で投げ出したのだろうか。

典型的なB型なのだけど、人に頼れるB型の人っているのだろうか。

これからも、自分のペースで人生を歩みたい。
暴走しないように、気をつけて、時々歩を止めながら。

ところで団体行動ですが、妹が指摘する通り、向いてません。寮で団体生活していた時に、やりたくもない「部屋のリーダー」を任され、自分を含めてあまりにみんなが自由過ぎて、心労で倒れ寝込んでしまいました。

やっぱり、性格なのかなあ。

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