自分の性格とは、真逆の世界で生きる、ということ。~『当たり前』が『当たり前』ではなくなった話。
病気になって出来なくなったこと。
数えたらキリがない。
それまで、難なく出来たことが、
それまで、好きだったことが、
多くのことが出来なくなってしまった。
禁止されたものもある。
それまで『当たり前』に出来たことが、突然出来なくなってしまった。
私は、自分の経験によって積み上げてきたものを、一瞬のうちに殆ど失ってしまったのだ。
もう、今までの自分の体ではない。
とても悔しく、とても悲しく、毎日泣いて暮らす日々だった。
私は、この病気になってどれほど泣いたかわからない。
どうすることもできない怒りを、何度家族にぶつけ、暴れただろうか。
変化した体に慣れることができずに、少しでも体調が悪くなると不安になって、何度病院に電話しただろう。
出来なくなったことを、たくさん数えた。
スノーボード、スキー、剣道、筋トレ、歌、ピアノ、マラソン、早歩き、スキップ、ダンス、カラオケ、飲み歩き、友人とのおしゃべり(テンポが早いと息切れがしてしまう)、買い物、旅行、毎日の掃除、 働くこと、、、
出来なくなったことが多すぎる。
行動力が長所でもある私にとっては、それまでとは違う人間になったような生活。
家族の転勤の度に、前職とは違う様々な仕事を経験した。人と接する仕事が大好きだった。とんでもなく田舎の生活を終えたら、ずっとやりたかった仕事に就けるように、とある仕事でお世話になった人からは連絡がきていたのだった。
しかし、それも出来なくなってしまった。
出来なくなったことの他には、塩分、水分、運動制限をしなければならなかった。
原因不明、治療法の確立されていないため、進行を遅くしたり、抑えたりする薬を飲みながら、現状維持するために、多くのことを制限する必要がある。
お菓子も、成分表示の「食塩相当量」を確認しなければならない。(全ての食品の、成分表示を見て買い物をしている。)
熱中症、インフルエンザにならないように。→重症化する可能性が高いため。
ポカリスエットは飲まないで。→私には、食塩相当量が多いため。
校則破りをしていたこの私が、ルールを守らなければいけなくなるとは。
私の人生の中で、いくつか節目があって、その時に救ってくれたのは、いつも『本と音楽』だった。
【ひとりの時間】に、本と音楽に心を救ってもらう。
ひとりの時間にドップリ浸かることにより、どん底に落とされ、水中で息をすることが出来なくて、苦しくて苦しくてどうしようもない状態が、いつの間にかプカーッと、水面に浮かんで息が出来るようになるのだ。
そうなると、私は強い。
今の体で、出来ることを数えるようになったのだ。
数える頃には、もう私は行動に出ていた。
学生時代、家庭科の評価がずっと『1』か『2』だったこの私が、編み物をするようになった。
かぎ針編みと、アフガン編み。
何故か、棒針編みは出来ない。
しかし、これは突然変異だ。
編み図が、読めるようになったのだから。
医師たちと接するようになってから、それまで使っていなかった、脳の部分が働き始めたのではないだろうか、と思っている。
持っていたのに使っていなかった、デジタル一眼レフカメラで、風景や花の写真を撮るようにもなった。
写真のSNSで、撮った写真を載せたりもした。結局、SNSが向いてなかったのだけど。
休憩しながら、頑張らないでひとりで歌を歌ったり、
出来ることは少ないけれど、今の私に出来ることあるじゃない!
と嬉しくなった。
出来ないことを数えたら辛くなるけれど、出来ることをしていると、とても楽しい。
中島みゆきの歌に、『倒木の敗者復活戦』というタイトルの歌がある。その歌の歌詞に、『傷から芽を出せ』という部分があるのだけど、私はその歌詞が好きだ。
その傷から血が出ていようが、瘡蓋が出来ていようが、傷痕になっていようが、痛みを伴うことは承知で、私はそこから、自分の新たな芽を出したい。
写真のSNSで知り合って、親しくしていた人が、
『あなたの写真は、いつも物語が始まるような気がするの。』
と言ってくれていた。
私の人生は、体が変わっても終わったわけじゃない。
新しい人生が始まったのだ。
一度きりの人生、出来なくなってしまったことを、嘆くような人生にはしたくない。
以前、心臓の主治医に、
『私は、桜の花のように華やかに咲いて、潔く散りたいです。』
と話したことがある。
主治医は、「それ、いつかの話でしょ。先の話だから。」と笑っていたけれど、私は、そういう気持ちで生きている。
辛いことは、この先もあるだろう。泣くこともあるだろう。それでも、ジタバタしながらも笑って生きていたい。
強がりで、負けず嫌いの私。
これからも、出来ることを増やしていきたいのである。