祀られているのは猫ではない
書店で「猫」にまつわる作品を見かければ必ず手に取ってしまう。
我が家に猫を迎えてから、私はすっかり虜になってしまった。
この夏「猫君」を読んだというのに、また書店で呼び止められたようだった。
「読んでみやぁ。面白いでね。」
「おから猫」西山ガラシャ
表紙イラストの真ん中で白黒の毛の猫が踊っている。
文庫本の帯に描かれた金鯱の上でその猫が
「願ってみやぁ。全部叶えたるでね。」
と言っている。名古屋弁で。
巻末で書評家の大矢博子さんが解説している。
登場する「おから猫神社」は名古屋市に実在し、正式には「大直禰子(おおただねこ)神社」という。
「祀られているのは猫ではない」と駒札に書かれているそうだが、風雨にさらされてほとんど判読できないようだ。
つまり、このような駒札が立てられるほど猫の神社だと思われていて、江戸時代から「おから猫」と親しまれていたそうだ。
色々な説があるようだが、この作品では「おから」は「御唐」のことだ。
人々が願い事を叶えるためにおから猫神社を訪れる。
そして祈りの最中に不意に白黒の毛をした猫が現れる。
気が付けば、自分の願ったことが叶えられているのだった。
しかしこの小説が面白いのは、そのファンタジー部分だけではなく、尾張名古屋の歴史が描かれているところだ。
江戸では徳川吉宗が民に質素倹約を強いていた時、遊びを奨励してとても賑やかで華やかな尾張を築いた徳川宗春が登場する話。
尾張を訪れ「大だるま絵」を描いた葛飾北斎の話。
「松坂屋」が「いとうさん」と呼ばれていた頃の金鯱にまつわる話。
中でも大作だと感じたのは最終話の「天下人の遺言」だ。
明治42年、堀川に架かる納屋橋の架け替えに携わることになってしまった青年の話だ。
悩んで橋の上に立ち尽くす彼に、近所の饅頭屋の女将が声を掛けたのだ。
「そういう時は、おから猫神社に行くに限るよ」
青年は神社に向かい、そこで白黒の猫を見かける。
そして、つい猫に尋ねてみる。
「もしかして、納屋橋が出来た頃のこと、知ってる?」
その夜、青年は夢を見た。
徳川家康だ。
「徳川の城を建てる!名古屋城だ」
「同時に城下町を整える」
「湊から城まで川を掘らせる」
川は福島正則に、天守の石垣は加藤清正だ。
家康は次々に大名の名を挙げていくのだった。
そして夢の中でも、とても重要な存在としておから猫は現れる。
悩む人の前にすっと現れるおから猫。
神頼みばかりではなく、人々は真剣に毎日を生きているのだから、願いが叶うのは当たり前だとも思う。でもおから猫さまのおかげと信じることが幸せなのかもしれない。
舞台も、語られる歴史も名古屋だけどとても楽しい時代小説だった。
ご興味があれば是非!