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2024年を振り返って
2024年お世話になった皆様、本当にありがとうございました。こういうの、頼むから年末に書き終わってくれ。今年を昨年に書き換えるの面倒だから。
注 個人の日記です。本当にただの個人の日記です。
夢と希望と
昨年は大学を五年で卒業して、不動産屋に就職して社会人になった。正直人生23年の中でも最も大きな変化があった年と言っても過言ではない。社会人一年目の感想としては、モラタリアム大学生を目指していた私が、まともに働いていることを我ながら偉いなと思う。あれだけ働く気なんてなかったのに、働くぐらいならこの世から消えてしまおうと思っていたのに、今まだ地面に立てているのは間違いなく競馬と推し騎手のおかげだ。留年して大学院に行けなくなって、働きたくなかっただけで研究が好きなわけではなかったから就活するしかなくなって、それでもまだ働きたくなかった。就活のアドバイザーが、就活の軸なんて聞いてくるけどそんなもん給料と休みの良さ以外あるわけもない。結局全ての企業で若干違う軸を話たけど本音じゃないから全然作り込めなくて当然落ちる。そんな中で必死で考えてたどり着いた夢が、お金を稼いで馬主になって推し騎手とダービーを勝つ、それだった。無謀、あまりにも無謀。そんな馬鹿みたいな夢を公言しながら必死に働いているのが今の私。馬鹿です。間違いなく馬鹿です。でも、私がまともに社会に出るのに前向きな理由があの時それしかなかった。それをまだ大事に抱えて、文字通り推し活に生かされている。本当に馬鹿にも程がある。
過去を振り返っても私は目標を叶えてきた方ではないし、満足に努力してきた人間でもないし、のうのうとただなんとなく労力をかけず生きてきた。その代償に今、人間としても実績としても未熟でどうしようもない状態のまま社会に出ることになってしまった。全ては私の怠慢が悪いわけだけれど、それでも私がなんとか走っているのは日々明日の推しをみたいと思えているからだ。明日になれば、推しにより良いことが起きるかもしれない。それが何より一番近い希望だ。生きてさえいれば推しはG1を勝つし、A級に昇級する。結婚するし、主役を演じる日が来るし、M-1もとる。
そしてなにより一番の推しがMリーガーになった。
この素晴らしき推しに祝福を!
「Mリーガーが推しなんじゃなくて、推しがMリーガーになったんだ。すごいね」
と先日何にも知らない同期に言われた時、確かに本当に凄いことだなと改めて思った。推しがMリーガーになった、目標に掲げていたそれを叶えた。一オタクとしてそんなに嬉しいことはないだろう、本当に言いふらしたいくらい、いやもう全然常に言っているけど、かっこいい自慢したい推しだ。
何度もつぶやいているけれど、私が思う浅井堂岐プロの凄いところは、計画性と継続性の高さだ。
「A1に上がったら雀王になる可能性があり、雀王になればMリーガーを目指すことが使命だと思っているから、A1に上がれることが決まった時点で準備を始める必要がある」
なんて言葉で言えばそのとおりだとしかいいようがないが、その通り行動できているから恐ろしい。A2リーガーの時点で"A1リーガー"の先の"雀王"のさらにその先の"Mリーガー"を見据えて、必要なものを手に取る準備をした人なんて他にどれだけいるだろう。このことを知った時私は震えた。そんな先を見据えて今を生きられる人が世の中にはいるんだと。それをさらに心に秘めるのではなく世界に対して明言して、言葉通り進めていける人がいるのだと。心底、惚れた。思えばあの瞬間、私は運命の出会いを果たしたんだとおもう。
ずっと追いかけているような顔をしているけれど、私が浅井堂岐プロをみているのは、Mリーガーになる直前の最後の二年間だけだ。私が気づいた時の彼は、すでに雀王をとってから三ヶ月ぐらい経っていて、その時すでに一年以上も配信をしていて、満を持してMリーガーという単語を口に出していた。あの頃は雀王だったから、まだMリーガーは夢物語だったかもしれないけれどそれはそれは光り輝いてみえた。そのあとBEAST オーディションのチャンスがあって、それがダメでも、まだ浅井堂岐がMリーガーになるというのは眩しい眩しい夢だった。ドラフトに選ばれなくてそれでも来年また目指すことを宣言してくれたとき、初めて私は遠い来年に思いを馳せた。何度も、何度も言っているが一年は長いと、私は思う。それがあるかもわからないMリーグのドラフトのためになど、尚更。
きっといくらなんでも、一年間ずっとテンション高くやり続けられたわけでもないと思う。昨年三月大学生のラスト特権を活かして潜り込んだ浅井堂岐プロゲストの就活イベントで、「Mリーガーになれなかったら」の話をしていた時私は少し落ち込んだ。そっか。もうそうでない未来も見ないといけない時期なのかと。私はただの観客だからまだ無邪気にMリーガーだけを夢見ていた。でも、もう「Mリーガーになれなくても」の未来の話を考えているのは非常に浅井堂岐プロらしいのかもしれなかった。計画性、継続性、先見性。現実と地続きのMリーグを見た時、確かに努力が叶わなかった場合の生活も想定せざるを得ないだろうから。私にとっては夢でも、推しにとっては生活である。
でも、それから三ヶ月後本当にMリーガーになっているんだから、なんというかすごい。雀王を失ってからの浅井堂岐プロの人気を支えたのは、確実にそれまでの準備だと思っている。配信の機材もあり、技術もあり、そこにはファンもいて、雀王の時に稼いだ知名度もある。前から準備していたものを雀王を掲げていた一年間でフルに使って、出来る限りの行動をし続けたからこそ、タイトルを失ってからも活かし続けられたのだと思う。戦略の勝利だ。タイトルを獲ってやるべきことをやり切ったからこそ、失ってもなお名前が輝き続けた。絶対にそうだ。
世の中に努力をしている人は無限にいるだろうが、計画性の高さにおいて浅井堂岐プロの右に出る人は本当にいないんじゃないかとすら思っている。運もあるにせよ、人に見つけてもらえる努力を継続できる人、それを本当に実らせる人。最高だ。黒木大先生も先日そんなポストをしていたから多分私の贔屓目だけじゃない。というか黒木プロと意見が一致したのは初めてかもしれない。麻雀を評価されてMリーガーになった人は沢山いるだろうが、麻雀以外の部分でも努力を沢山してきてそれが実ってこの舞台に上がってきたのは渋川難波と浅井堂岐。この二人だと思っている。今日も「楽しんで努力する」を座右の銘的に掲げていたが、本当に浅井堂岐に似合う言葉だ。目標に向かって努力し続ける姿を二年間ずっと見てきた。
しかしまあ本当に、現実は世知辛いもので、社会人は推しのバースデーイベントにすら行けないらしい。12月23日はもう一ヶ月以上前から空けていたのだけど、どうしようも断るわけにはいかない忘年会の予定を打診され二つ返事でOKした。当たり前に沢山の人に囲まれているだろう推しを見られないのがかなり残念だが、もうこれは仕方がない。行くしかない。残念なことに私を取り巻くそれは、自分との戦いでしかなかった去年とはあまりに違う。思えば2023年のバースデーイベは卒論の提出最終日で、卒論を書き上げた足で浅井堂岐プロのバースデーを祝ったのだった。卒業できてよかったねえ本当に。
麻雀の放送対局もそうだ。去年の私なら何もかもを捨てて協会A1リーグ最終節を見ていただろうが、今年の私は偉いので翌日の宅建試験に向けて勉強をしていた。まがいなりにも社会人なので、もう私の世界は推しを中心には回っていない。それでも、一人神田明神にお参りした時、私の宅建の合格より先に浅井堂岐プロのその日の麻雀運を願った程度には心は推しに向いて生きている。リーグ戦残留争いの結果がどうしようも気になって我慢しきれなくて、こっそり四戦目をつけて、小川プロに3pだか6pだかを放銃した時にはスマホを床に叩きつけたが、オーラスであまりにも素早く一気通貫が仕上がった時には本気で神に感謝をした。願いは叶った。ついでに宅建も受からせてくれたのだから、はやく神田明神にはお礼参りに行かなければいけない。
総括
改めて2024年を振り返ると、私のために、本当に浅井堂岐プロに出会えてよかったと思う年だった。大学最後の一年に思い切って麻雀プロに会いに行くようになったことで、逆張り大学生私はようやく外の世界に踏み出した。初めて会った日はそれはそれは酷いもんだったんじゃないかと思う。人と話すのは今でも得意ではない、自分の話をするのは好きなんだけれど。その前に浅井裕介プロや仲林圭プロに会いにいった日はもっと酷かっただろう。今ですらコミュニケーション能力と人格には一切褒められたところはないが、浅井堂岐プロに出会った頃より多分私は多少垢抜けて、大人になった。その大きな要因はもちろん学生から社会人になったことだが、バーやら麻雀やらで知らない人と会話する機会が増えたことは絶対的に得だった。何せ今は営業職をやっている女だ。日々の営業で自分の未熟さに直面させられ続ける生活をしているが、これが大学時代何もないまま就職していたら一体どうなっていたんだろう。社内ですらうまくやれずにリタイアしていたかもしれない。実際浅井堂岐プロには「仕事すぐ辞めると思った」と言われたし橘哲也プロにも「思ったより頑張ってる」と言われた。いや本当にそれ。やはり学生の最後に、私に外の世界との接点を作ってくれた浅井堂岐プロには本当に感謝しかない。多分浅井堂岐プロに出会っていなければ私はもっと酷くて、人と和やかに会話する術なんて知らないまま学生を終えていた。ボロボロのオタクを受け入れてくれた麻雀界にも感謝だ。私の今は麻雀と競馬に支えられている。
そんなに人の話ばかりして、麻雀を愛していないのか言われたらまぁ今は許してくれというしかない。私の麻雀歴は概ね一年九ヶ月ぐらい、麻雀のクオリティは、牌譜検討をお願いした鈴木ケンタプロに「思ったよりまともだった」と言われる程度。牌効率という概念は勉強したことがないのでよくわかっていない、鳴き読みもできない。とにかくまっすぐ元気に進めていって、ドラドラでもあればリャンシャンテンぐらいからも余裕で放銃するので、浅井堂岐プロから送られてきたサインに「ちゃんと降りてね!」と書かれた程度の打ち手。高い手がとにかく好き。降りるのが嫌い。もう少し麻雀強くなりたいなんて言うけど、麻雀を勉強しようとなんてしていない。いや、本当はもっと強くなれるものならなりたいけれど、時間もお金もかけていない。
いやもう、麻雀が好きで麻雀をやれよと私自身も思うし、その方が長続きするだろう。早く麻雀を好きになりたい。でも、私は推しを通じて麻雀に出会った。私と麻雀の接点が浅井堂岐なのであって、私と浅井堂岐の接点が麻雀なわけではない。だが逆にだ。実に気持ち悪いことだが、推しが麻雀を好きでいる限り多分私も麻雀が好きである。推しが麻雀を手放さない限り、私の趣味に麻雀がある。そんな生態の生き物なので、麻雀を真に愛せるのはまだ先の話だろう。でも、せっかくだから推しの愛するものを少しでも理解したいとはずっと思っているし、私にとって麻雀はマチアプで出会って二、三回あった程度には好意的に思っている。松尾流穴熊を覚えたところで止まった将棋とは違ってもう少し頑張れそうなので、少しでも強くなりたい。いや、少しなんて言わない。目指せ最強位!流石にアマチュアで最強位になって優勝挨拶で推しの名前を言えたら、流石にオタク冥利につきすぎる。最高だ。やりたい。言うだけタダなので言っておきます。ついでにタイトルホルダー決戦を勝ち上がってきた石井一馬最高位を俺が運だけで倒すぜ!くらいの気持ちだ。気持ちだけはある。まだclassicを根に持っているので。最高位おめでとうございます。最強位、目指して麻雀がんばるぞ!
参加イベント振り返り
以下、簡単に昨年の出来事の振り返りを。
まず、七月に開催したW浅井カップ。初めて大会の主催をした。オファーを受けてくださった浅井堂岐プロ、浅井裕介プロそして、一緒に大会を準備運営してくださったあーしゃさん。あーしゃさんがいなければ全く実現していなかったでしょう。本当にありがとうございました。
たかきさんの麻雀大会が少ない!もっと麻雀打てるイベントほしい!と言い出したのが二月ごろ、これは一人じゃ絶対無理だとあーしゃさんを誘ったのが三月ごろ、そこから日程調整をして告知をしたのが四月ごろ。告知から一日もかからず定員が埋まったことにはとても驚いたし、正直好意的なコメントばかりいただいて恐縮なばかりだが、あのイベントを一番楽しんだのは誰よりも私だと思う。ファンに囲まれている推しを見るのってかなり幸せで、自分がその空間を作り上げる一助になったと考えると本当に至福の時間だった。それぐらい私のやりたいことは全部詰めさせていただいて、それを皆様に支えてもらったそんなイベントだった。実際の運営はほぼあーしゃさんに頼りきりだし、推し二人のはーとふるさにたった一日で何度も助けられた。これに関しては何度伝えても感謝し足りない。皆様ありがとうございました。
それから、去年はげんたかきリーグに参加した。げんたかきリーグは、私がいつも行くワンデーの麻雀イベントとはちょっとお客様の層が違う。メインが元太麻雀ラボのお客様で、つまり竹内元太プロの中級者向けの麻雀講座を受けられるような打ち慣れたぶっちゃけおじさまが多い。明らかに私が一番下手くそというような空間で、五節もリーグ戦形式で打てたのはすごくいい経験になった。二節目の時点でボロ負けして、正直後半かなりキレ打ちしてた自覚はあるが、麻雀の内容はともかくげんたかきリーグのおかげで圧倒的に点数計算ができるようになった。
とは言っても、第三節の時はわざわざ開始前に「点数計算できません」と申告したにもかかわらず、一回もあがれなくて同卓した方に「本当に点数計算できないんですか?」と言われたし、1000と1500と1300しか申告しない日もあった。そんなんで何で点数計算ができるようになったのかは正直謎だけれど、 リーグ戦という形式のおかげで顔見知った人と繰り返し打つ機会を得たのが大きな要因だと思っている。たかきリーグの常連さんで最初から知り合いだった人は五人ほどだけれども、回を重ねるごとに何度か同卓した人とはなんとなく顔見知りになった。そして毎回点数計算できないことを申告しているうちに、だんだん私のことを覚えて気遣っていただけるようになり、それに伴って段々私の気持ちに余裕が出てきた。実際どう思われていたか心のうちはわからないけれども、少なくとも点数計算ができなくても前回は怒られなかったという安心感。そんな環境で立直するたび点数をシミュレーションし続けていたから、脳に点数計算まで一気にやる癖がついたみたいだ。それまで手牌を進めて、テンパイさせて、ただそこでずっと止まっていたのを、"テンパイしたら点数計算をする"ところまで脳を繋げることに身体が馴染んだんだと思う。立直した後、テンパイした後、今のわたしは必死で点数のパターンを思い描いる。リーチ平和69p、9pツモったら7001300、6pツモったら13002600、裏がのったらそれぞれ一つあがって、であがりは2000か3900、裏がのって3900か8000。それを何度も何度も脳内で流していれば少なからず対応力がつくらしい。まだ立直直後の出あがりなんてのは全く対応できないが、リーチから余裕があるような場面では何度も何度も何度もパターンをループして、これだ!という点数を答えられるようになってきた。決してスムーズではないし、5200がいえないんですけどでも随分とこの一年で成長した。全てはげんたかきリーグのおかげ!げんたかきリーグを主催してくださった木村プロ!参加者の皆様!本当にありがとうございます。だいぶ自信がついてきたので、来年はプロアマリーグとかにももっと出てみたい。あとたかきリーグであまりに負けまくって、五節目の後にキレて熱続行げんたリーグ単発参戦をきめたところ、節優勝できたのは本当に嬉しかった。決勝大会進出できなかったの本当に悔しいので、来年があれば元太リーグも堂岐リーグも出場したいです。楽しみ。
それにしてもこの年末に中学時代からの友人に会って、「まだ麻雀好きなの?氷織がそんなに長くハマってるジャンル初めて見た」と言われたのがなんとも面白かった。本当にね。私にとっては異常なことで唯一無二。セガサミーフェニックスというチームが本当に素敵で応援しがいのあるチームなのも拍車をかけていると思う。チーム配信もやってくれるし、対局ごとに即チームの控え室動画をあげてくれる。LINEスタンプが出て、グッズも毎月のように新作がでて(これに関しては本当にお金との戦いだけども)今度はPVも企画されている。これまで失礼ながらセガサミーフェニックスというチームに注目し続けてきたわけではないので、こんなにいろんなことをやってくれるチームなんだ。すごいな。素敵だなと日々感謝が募るばかりだ。チームとしても明るく前向きなメンバーが揃っていて、選手の結果が振るわなかった日も他のメンバーが前向きに声をかけているのが見て取れる。チームが勝っているというのもあるだろうけれど、常にファンも前向きに引っ張っていってくれる力が全員にあるチームだ。素敵。
竹内元太プロはよくイベントに行くし、醍醐大プロのゲストにも時々行くので話したことはあるのだが実は茅森プロとは全くお会いしたことがない。2025年はセガサミーフェニックスファンとして、みんなに会いにいけたらいいなと思っている。今年も浅井堂岐プロとセガサミーフェニックスを応援していきます。