見出し画像

思い込みと赤ちゃんの視点と環世界

 編集担当がまた興味深い話を聞かせてくれた。今年生まれた親戚の赤ん坊が「何もないところ」を凝視し、時には微笑むというのだ。生後一年ほどの赤ん坊は、グラスに映り込んだ周囲の様子、絶えず変わる雲の形、風に揺れるカーテンの裾など、刻々と変化するものに心を奪われるらしい。
 
一方、一般の成人は「何もないところ」にはほとんど関心を示さず、映り込みや雲をじっと眺めることもない。成長するにつれ、自分に大きな影響を与えないことは知覚から削ぎ落とし、重要なことを選択的に認知するようになるからだ。
 
近所のスーパーに行ったときのことだ。臨時休業の告知が何日も前から掲示されていたのに、そしてそれを何度も見ていたはずなのに、買い物に行ってしまった。無意識に、不注意に、あり得ないミスをしている。そしてさらに最悪なことに、そのミスによる行動が完結するまでまったく気づいていない。我ながら呆れてしまう。店頭に告知が掲示されているというちょっとした変化を見過ごしてしまう。何も変わったところはないはずだと定常性を期待するから、あるいは都合の良い思い込みなのだろう。
同じように、スマホに集中して周囲の状況が見えていない人をよく見かける。電車やエレベーターの中でさえも彼らは周囲に関心がない。その瞬間ではスマホの画面表示が彼らの世界のすべてなのだろう。しかし周囲は絶えずダイナミックに、そして不可逆的に変動しているのだ。
 
重要なことを選択して行動することは、個体の生存に大きく影響する。そのような能力を進化の過程で獲得してきたのだろう。自己に重要なことを主体的に知覚する世界を、生物学では「環世界」と呼ぶ。環世界は生物学の概念であり、ヒトだけでなく動物や昆虫など生物全般に広く共有されている。
 
例えばあなたが部屋でくつろいでいるとする。そこに一匹のハエが迷い込んできて、テーブルにあるスナックに近づいてきた。ハエにとっては食料確保や子孫を残すことが行動原理原則であるので、栄養豊富な食料の確保とそれに辿り着く安全で確実な飛行ルートの認知が何よりも重要である。その環世界ではSNSやテレビ番組のことなど全く認知しない。いっぽう、ヒトは今行われているスポーツの経過が重要で、現在位置から食べ物までの直線上にある障害物や空気の流れのことなど気にするはずもない。同じ空間を共有していても環世界はまったく異なる。
 
さらに、ヒトにおいては「重要なこと」は様々であり、主観性や生活圏、年齢、性別、経験、社会構成などによっても異なる。したがって、同じ環世界を誰かと共有することはもはや期待できない。しかし、異なる環世界で生活しているからこそ、多様性が生まれて建設的な意見交換も可能になる。
 
ここで「違和感」について考えたい。あなたが馴染みのカフェに来たとしよう。店内のレイアウト、従業員、カトラリーなど、一見したところ何も変わらず居心地の良い空間なのだが、どこか不明な違和感を覚える。注意深く店内を見回すと、背後の窓越しに先日まで改装工事していた隣のファッションビルが再オープンしていることに気づく。そして注意深く観察すれば、景観だけでなく、人通りや人々の会話も以前とはずいぶん違うことに気づく。そこでようやく違和感の原因に気づき、この後の行動や気分も変わってくる。冒険心から入店して思わぬ掘り出し物に出会うかもしれないし、新しいアイデアを思いつくかもしれない。
 
はじめは根拠不明の違和感を覚えた些細な変化が、あなたの環世界に作用し、大きなイノベーションにつながることもあるだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?