雲南日本商工会通信2022年10月号「会長の挨拶」
埼玉県立近代美術館――。
何年も住んでいる地域からそう遠くもないし、今までも前を通ったことは何度もあるのに、寄ろうと思った事すらなかった。
美術館の特別展で田中保(たなかやすし)という画家を初めて知った。1986~1941年、幼少から絵が好きで画家を目指し、18歳で単身シアトルに移民し、のちにパリに移住。シアトルでもパリでも超一流ではないにしてもその名を遺した画家。
その日は少し仕事も残っていたけど、午後はしたいことをした。先日一緒に食事をした友人から“もし時間があれば美術館に行ってみるといいですよ、きっといい時間が過ごせると思いますよ”と言われ、(良くわからないけど美術館か。なんだか楽しそうだな)という気持ちだけで行こうと決めた。
そんな意見をくれた彼に大変感謝である。絵には興味がない、というだけで今まで行かなかったことに後悔すら覚えるくらい楽しかった。わずか3~4時間程度の過ごし方だけど、いい時間にすることが出来た。
絵のことはわからないけど、その時代に生きて、絵画という媒体での結果を残した人の人生に、歴史を垣間見ながら触れることが出来た。
1910年代に第一次世界大戦、20年代に世界中が浮かれるほどのバブル期、1929年にその反動の世界大恐慌、そして30年代に各地で戦争が起き始め、1941年に第二次世界大戦が勃発した。
そんな時代の中で彼が何を想い、何を感じ、どう表現したのか。
風景画、裸婦像画、肖像画。
商売として他人から希望された絵を書くことも必要だし、その時の気分にもよるだろう、また、他の作家の影響も受けることもあるだろうが、年代によってタッチが変化していることに気付かされる。
特に感じたのは歳を重ねるにつれてタッチが丸みを帯びてきていること。年代は違えど、歳をとるという事はそういう事なのかと。
デッサン、水彩画、油絵。
様々な方式を、注意深く時間をかけて観ることによってその方法や難易度の一部を理解することが出来た。絵の専門ではないが技術屋の端くれとして、その工程を想像すると気が遠くなるような表現技術のための単純作業がそこには存在していた。
という事で、美術館観覧という新しい発見をしたことは今回の帰国の中では大きな出来事だった。
現在帰国している折に、コロナの影響で中国への移動が様々な理由でままならずにいる。中には理不尽と思われる理由を言われ、気持ちがモヤモヤしたりもする。
しかしながらこの画家が当時、飛行機すらない時代に海外を渡り歩くことの面倒さは我々の想像を超える大変さだったに違いない。しかも日本人というだけで差別を受ける当時の欧米での理不尽さは、今の比ではおそらくないだろう。
今自分の周りでも、理不尽と感じる様々なことがあるが、この時代に比べたら相当小さな理不尽さに違いない。
そう考えると、理不尽と思うことは発する側にあるというより、受ける側の問題であるとも思える。
だから今の状況を受け入れることも必要である。自分にとって今の状況は決して理不尽なことではなく、そのことを受け入れて与えられた時間をどう有効に過ごすか、どう楽しむかである。
そうして、久しぶりに帰国している日本を楽しんでいる。