雲南日本商工会通信2021年2月号「編集後記」
夕食どき。いつものように老母と食事をしていました。
食べ足りなかったので、私は正月の残りのモチをオーブントースターに入れました。
それをきっかけに老母が「昔はお正月になると、朝早くから火鉢に炭を入れて、そこに置いてじっくり焼いて食べたものよ」と言いました。
5分で焼きあがったモチを食べながら私は、「それってなんだか贅沢だな。たしかに面倒かもしれないけど、その分、優雅さを感じる」と答えました。
「元旦に、私のお父さんが早起きしてやってくれたんだよ。私たちが起きた頃には、すでに食べる準備ができていたわね」。祖父は当時にしては開明的で、家事をよくしていたそうです。手間を厭わず作ってくれた祖父の姿が懐かしいようで、その後も母は話を続けていました。
ところで、中国情勢に詳しいジャーナリストの近藤大介氏は1月26日付「現代ビジネス」のコラムで、アジアからの訪日観光客は「急速な開発で自国から消えた『旧き良きアジア』を懐かしむために、日本へ来ていた」と皮肉を込めて指摘します。「現金のやり取り」や「手を挙げてタクシーを拾う」といった、自国ではなくなった行為を日本で楽しんでいるわけです。
続けて同氏は、アジア諸国と比べても日本のコロナ対策やDX(デジタルトランスフォーメーション)がかなり遅れていると批判した上で、このままでは後進国になると懸念します。
それはそうですが、しかし私は、「火鉢に炭を入れてゆっくりと焼くモチ」にも注目してほしいと思うのです。中国では、日本と違ってほとんどの老人がスマホを使うことができます。しかしそれは、スマホを使えないと生きていけない社会の厳しさがあるからなのです。
日本に来る訪日観光客は、近藤氏の言う「懐かしさ」だけではリピートしないでしょう。そこにある種の贅沢さを見出しているから、再び訪れるのだと思います。そこを忘れると、せっかく日本が築き上げた良い部分が失われそうな気がします。アフターコロナで一気に日本を進歩させようという思いがある人ならばなおさら、そこに留意すべきではないでしょうか。