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雲南日本商工会通信2022年7月号「副会長の挨拶」

 東京や福岡や静岡、広島に「ウンコミュージアム」という施設があり、若い女性に人気があるようです。
 「ウンコ漢字テスト」が子供に流行したのも最近ですし、これまで日陰に置かれていたウンコに社会の関心が高まるのは、とても喜ばしいことだと思います。
 そもそも大便という言葉からして、「大きな便り」であり、自分では自覚できない身体内部からの便りを毎日、便器の中で確認できるというのは、情報化社会における個人情報の重要ソースの一つとなります。情報を読み取らずそのまま流してしまうのは、重要情報に無頓着なバカという誹りを受けても仕方ありません。
 その量、色、匂い、固さ、頻度、比重。これらは、私たちが見えない多くの体内情報を私たちにもたらしてくれるディープスロートです。そして、そのウンコの状態が、単に健康だけではなく、腸脳軸、腸脳相関といわれる私たちの感情や性格にまで影響しているものだとすれば、ウンコの重要性をどんなに強調してもし過ぎることはありません。
 「味噌もクソも一緒にするな」といいますが、本当にその通り。一緒にすべきではないどころか、クソの方が大切なのではないかと思います。
 多くの人は、ウンコは食べ物のカスだと思っているのですが、食べ物の残渣はウンコの1/3で、残りの1/3は腸内細菌、さらに残りの1/3は剥がれ落ちた腸壁だそうです。ということは、私たちのウンコは、腸内の細菌相や腸壁の状態を目に見える形で伝えてくれているわけで、大便、大きな便りという名前を付けた古人の知恵には頭が下がります。
 美食、美味い、マズい、新鮮、古い、風味がどうだなどと、口から入るものにはあれだけやかましい人々が、それが身体から出る時には、全く顧みることさえしないというのは、すこぶる軽薄で、竜頭蛇尾、大言壮語してウンコちょろちょろです。
 おそらくは、TOTOあたりの企業は今後、排便量を表示するようにもできるし、便の匂いを分析して病気の危険を知らせる技術や、ガンの有無や糖尿病の警告、免疫力の低下を察知することもできるようにするに違いありません。21世紀は、これまで隅におかれてきたウンコ復権の時代になるでしょう。
 便秘と下痢を比較すると、便秘の方が明らかに有害です。下痢は大腸での滞留時間が短く、水分を吸収する間もなく肛門まで移動するので、脱水症状には気を付ける必要があります。しかし排毒をするわけですから、脱水以外のデメリットは多くないようです。それに比べて便秘、宿便はリーキーガット症候群のように腸内の毒素が血液に混入し、肌荒れを起こす、免疫力が低下する、それにより各種病気の原因になるなど、深刻な影響をもたらすため、注意する必要があります。
 色は若干の黄色で光沢があり、固さはチューブ歯磨き程度、長さは小さなバナナ2本から3本程度、少し酸味のある匂いで糞切りが良い、このようなウンコが理想的で、食事を自慢げにインスタグラムにアップするなら、同時に立派なウンコもインスタに上げたらいいと思うのですが、そんなことをする人は誰もいないのが不思議です。
 本来なら、立派な食事よりも、立派なウンコの方が、よほど自慢できる濃密な内容が含まれているのですが、なぜかウンコはまだ社会的な市民権を得ていません。大食い競争はあっても、大便量のコンペは開催されません。法律で禁止されているとも聞きませんし、公序良俗に反するという判例もないのに、世界中でそれをする人がいないのは極めて奇妙で、これには何か進化的な理由か、Qアノンなどの陰謀があるのかもしれません。
 イヌや野生動物はウンコを縄張り表示のマーキングに利用しますが、武器を持たない弱い動物である人間は、ウンコが逆に自分の居場所を示す弱みになるから、進化の過程でウンコを隠す習慣になったのでしょうか。
 それとも、ウンコを介する病原菌や寄生虫が蔓延するのを避けるために、ウンコを避ける習慣を持った個体だけが生き延びて、私たちはそのプログラムの影響を受けているのでしょうか。
 それにしても、人間の体内における腸内細菌やウンコの貢献度、重要性に対して、それが体外に出た後の評価や扱いが極端に低いのは、細菌やウンコの側から言えば、公平性の観点からは到底納得できないことでしょう。その一方で生物多様性だとか、SDGsとか、地球環境とかを声高に叫んでいるわけですから、腹を探られ、人間は腹黒いと言われても仕方ないでしょう。
 たぶん、腸内細菌は「クッソー、この野郎」と思っているはずです。

 上の図のように先進国ほどウンコの量が減っているようです。この傾向と先進国の少子化や生活習慣病、自殺が増えている事を結びつけた文献は見当たりませんが、腸内細菌の機能を知れば知るほど、これらには密接な関係があるように思います。
 ウンコが半分になって、精子も半分になって、人口も半分になって、国力も半分になって、気力も半分になる。
早く言えば、これが日本の近未来でしょう。
 少子化対策のために各種の補助を増やすよりも、まずはウンコを増やす施策を考えた方が良いと私は思います。
 恋愛は、五十音順。愛(あい)で始まり運(ん)で終わる、といいますし、私の経験からもそれは正しい。
 禍福終始は、身体の出入り。健康は口から入り、災禍は肛門に見える。
 およそ病気は口から入るものが原因で起きますし、およそ禍は口から出る言葉で引き起こされますね。家庭も社会の人間関係も、ほとんどの人間関係の問題は言葉が引き金ですねえ。
 そうみると、口と鼻の機能の「食事」と「呼吸」と「言葉」、人生におけるほとんどの禍福の原因はここにあるのかもしれません。
 逆にその禍福の社会結果は、先行指標として毎日のウンコに現れるということなのかもしれませんから、やはりウンコはしっかり観察すべきでしょう。
 そういう意味では、ウンコミュージアムの流行は、日本再生への期待のように過大評価したくなります。
 運を無駄にしませんように、ウンときばりましょう。頑張れ、瀕死のニッポン。

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