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雲南日本商工会通信2024年5月号「編集後記」
中国の経営者と話していて、思ったことがあります。不景気が長引いていることもあり、彼らは自分たちのビジネスを、より慎重かつ戦略的に(雲南の会社ですら!)考えるようになりました。
そのため、近頃では彼らの緻密な考えに感心することが増えました。何かを質問すると、「待ってました」と言わんばかりに的確な回答をくれたりするのです。
ちなみに10年前の経営者だったら、「なぜそんな細かいことを聞くんだ」といぶかしげな顔をしたり、「とにかくドーンと、バーンとやりたいんだ」など、長嶋監督みたいな回答をくれたことでしょう。
現在の彼らに感心しつつ、一方で何か物足りなさも感じていました。何だろうと思い、経営戦略の本をパラパラとめくってみて、やっとその理由が分かりました。
彼らは儲けるため、あるいは生き残るための戦略を立てることがうまくなりましたが、経営の思想や志、ビジョンみたいなことを考えることがいまだに苦手なのです。
かつての日本企業も同じでした。たとえば以前、日本企業のウェブサイトを開いて「ビジョン」の項目を見ると、どこも似たり寄ったりなことが書かれていました。しかし最近の日本企業はかなり変化しており、うなずける文言が増えています。
話を戻して、ではなぜ中国の経営者はそれが苦手なのか。それは、ビジョンを考えるのは中央政府だからです。むしろ、ビジョンなど考えないほうが睨まれないで済むことでしょう。
アリババには「人々の不便をなくし、社会を変えていく」というビジョンがありました。新東方には「終身学習 全球視野 独立人格 社会責任」という教学理念がありました。
結果はご存じの通り、中央政府に潰されてしまいました。
それと同時に、中央政府のビジョンに乗った企業は成功しやすいという事実があります。ビジョンに乗る企業が多すぎて共倒れになりがちという悪弊があるものの、そのような背景があるからこそ、ビジョンを他人任せにするクセがついてしまったのだと想像します。
ちなみにかつての日本企業(特に大手企業)もまた、「欧米」という目標や政府主導の護送船団方式があったため、ビジョンを考える必然性が薄かったのだと推測されます。
では、中国企業はこのままビジョンなど考えなくともいいのでしょうか。中央政府の描くビジョンが企業にとっても正しい道ならばそれでいいのでしょう。しかし問題は、それが政治に左右されることや、本当に正しい道なのか疑わしいということにあります。中央政府の考えるビジョンは、中国の人々のためというよりも、国力増強が主目的である可能性が高いと言えます。軍需産業ならいざ知らず、民間企業にとっては中国の消費者の幸福に寄与するビジョンでないと長続きしないはずです。
ところで、私にとっての仕事のモチベーションは「ワクワクすること」です。そのビジネスを通じて「将来の消費者と経営者が笑顔になっている姿」(=経営の思想や志、ビジョン)を想像できないと、仕事をしていてもつまらないのです。それが彼らに対する「物足りなさ」の正体でした。
とはいえ中国の経営者は、現在ですら「JTC(ジャパニーズ・トラディショナル・カンパニー)」と呼ばれる会社の経営者と違って、時代の変化に慣れています。今後の変貌に期待したいと思います。