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生きている証拠?
転びやすい子供。それが私の幼少期だった。
それに加え、足首を挫きやすかった。
走っていて(何もないところで)転ぶことは日常茶飯事。砂場で足を取られて捻ることもしばしば。
時間が経つにつれて、転んで膝を擦りむいても泣かないようになっていた。
足を挫いたとしても、「あ、やばい捻った」程度で終わるようになった。長時間歩けない程の痛みに襲われなくなったのである。
もしかしたら、痛みに慣れてしまったのかもしれない。それとも、「泣くようなことじゃない」と思うようになったのかもしれない。
どちらにせよ、リトルふくろうの偉大なる成長(?)である。
痛みへの耐性を手に入れた。
(とあるレベルアップのBGMを大音量で流す)
…と思いきや、現在の私は病院に連れて行こうとすると全力で拒否する。なぜなら、痛いのが嫌いだからだ。
何人かの方は既にご存知だと思うが、「私は極力病院に行きたくない」をモットーとして生きている。
注射は痛いし、感染症の検査(鼻に綿棒を入れられるやつ)が本当に苦手。今すぐに逃げ出したい気分である。
どうやら私は幼少期、インフルエンザの検査で「助けてぇぇぇ!!死んじゃう!!!」と叫んだ。おまけに病院で暴れたこともある。
私よ、なんて子供だったんだ。
ちなみに今は、大人しく治療を受ける人になった。逃げ出す準備は万端にしているが。
…果たしてこの病院嫌いっぷりは、本当に「成長した」と言えるのであろうか。
なんだかんだありつつも、健康に留意しているというポジティブ思考でいこうと思う。
そんな過去を持つ私だが、記憶を振り返ると、様々な怪我をしていたことに気がつく。
留学先では包丁で指を切った。(他にも様々な怪我をしている。)
その怪我シリーズの中でも、なぜか捻挫の記憶がはっきりと残っている。
今でも覚えているのが、幼少期に足を怪我して学校に行った時の思い出だ。詳細な情報は忘れてしまったが、当時の足の様子は頭に残っている。
足を包帯でぐるぐる巻き+クロックスを履いていたという状態だった。
なぜクロックスか。
包帯を巻きすぎて足が肥大化したからである。
ちなみに、私の足は植物ではないことをここに記しておく。
きちんと血液も通っているし、感覚もあるので安心して欲しい。
閑話休題。
おかげさまで、上履きが使い物にならなかった。
これを見た人から、「足どうした?!」と言われた時は、少しだけ恥ずかしかった。
いや、どうしたと言われましても。
おそらく、足を挫きやすい癖が付いてしまったのかもしれない。何回か挫いては、病院へ…という流れを繰り返していた。
しかし、大きくなるにつれて足を挫く回数は減った。
100メートル走で、服が土まみれになるスライディングゴールをかますことも無くなった。
公園を走り回っても、足を捻ることは無くなった。
…と思っていた。ほんの数週間前までは。
また何もないところで足を捻りそうになった瞬間がやってきたのである。
もう幼少期は終わった(はず)なのに!
きっかけは、とある道路を歩いていたときのことだった。
いきなり、身体が左に傾いた。
左に…?
瞬間的に、上にジャンプをしようと身体が動く。
体育の授業で、全力疾走をして止まれなくなった時は上に跳ぶと良いと学んだ。(独学。)
それ以来、何かあると身体が上に跳躍するようになった。
身体の左側に力がかかってしまうため、それをリセットする目的でも上に跳んだのだ。
足首は無事だった。それよりも、身体が傾いてしまったことへの恥ずかしさが勝る。
「うわっ」という声も出ていた。着地は成功したが、今の失態を記憶から消したい。
以上が、何もない場所で怪我をしそうになった人の経験談である。
ふとこの文章を打っている自分の手を見ると、小さな切り傷がいくつかある。
おまけに、反対の手には火傷の跡。間違えてヤカンに触れてしまった証が残っている。冷やし足りなかったのが原因かもしれない。
怪我の跡は、痛くない。残った傷跡は消したいけれど、生きている証拠だしまぁいっか。