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オープンワールドの「広さ」について

シェンムーから21年、GTA3から19年、スカイリムから9年たった2020年、オープンワールドゲームはAAAタイトルの基本プラットフォームとなった。しかし、ここ数年いわゆる「オープンワールド疲れ」が指摘されはじめた。他のゲームジャンルと同様、オープンワールドは万能なプラットフォームではない。

狭く感じる「開かれた世界」

自粛期間のGW、アサシンクリード・オデッセイ をプレイしていた。パラクールをモチーフにしたアクションやDS風に磨き上げれた戦闘、何より130㎢以上のオープンワールドで再現された古代ギリシャなどの要素非常に高品質で、十二分に楽しめる作品だった。

しかし、ふと、この世界はあまり広く感じないな、思った。戦闘やクエスト、アクションは非常に楽しいものの、「オデッセイ 」というタイトルに反して壮大な旅という感覚はないのである。徐々に解除されるファストトラベルポイントを利用しながらクエストをこなしていく感覚は、「オデッセイ 」というよりもむしろ縄張りの巡回的なものに近く、未知の街や島へ冒険に出るというような体験をこのゲームから得ることはできなかった。

一方で、現在の基準でマップサイズはたいしたことがないのに世界が広く感じるゲームがある。個人的にはFF9はその典型であるし、ここ十年ではThe Last of USや ダークソウル3は世界の広がりを強く感じた。

オープンワールドの限界

なぜ130㎢もあるオープンワールドゲームで狭さを感じてしまったのだろうか。そもそも、世界の広さを感じさせるにあたって現代のゲームとしては最大級である130kmという面積は十分なのだろうか。この広さは大体東京の東側三区(足立区、葛飾区、江戸川区)を合わせた程度の広さである。ゲームソフトとしてはして桁違いに広いが、このゲームが再現しているギリシャの実際の大きさの1/1000程度だ。

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何が言いたいかというと、オープンワールドはその「面積的な大きさ」だけを持って「世界の広さ」を体験させるのは不十分だということだ。グラフィックの進歩は、ゲーム内世界を現実と見紛うほどに洗練させた。「街」、「フィールド」、「ダンジョン」という記号的な区分けはもはや時代遅れとなり、全てはロードを挟まずにシームレスに繋がるようになった。しかし、それらの進歩がゲーム世界の比較対象を「現実世界」としてしまい、現実の1/1000以下の面積に閉塞感を覚えてしまうのである。

これは、グラフィックやNPCのAIとは異なり、おそらく解決不可能な問題である。現実と同じ広さをゲーム内に再現することは、技術的にはさておき、ユーザー体験上不可能である(目的地まで数週間移動しないとたどり着かないゲームなど、誰が遊びたいだろうか)。ファストトラベルという選択肢はあるが、そもそも主な移動手段がファストトラベルであれば地理的な広さは不要である。

広く見せる「仕掛け」

それでは、ゲーム世界でどのように表現すればい良いのだろうか。そもそもオープンワールド以前から、デベロッパーはゲーム内世界をできるだけ広く見せようと様々な仕掛けを用意してきた。代表的なものを挙げるとRPGで多用される草原、森、砂漠、海、火山、雪山のようなロケーションの構成だ。これは地理的に異なる場所に行くと言うだけではなく、春夏秋冬に対応するような風景を用意することにより時間の経過を擬似的に体験させる効果もある。

オープンワールドの時代になっても、そのような仕掛けは依然として多くの作品で用いられてきた。TESスカイリムでは、山の頂上に行くに従って木を低くし、遠近法で山を大きく見えるようにしている。Whicher3では、オープンワールドをあえていくつかのエリアに分割することで世界の広がりを表現した。

一方で冒頭で挙げたアサシンクリード・オデッセイはと言うと、そのような仕掛けは一切施されていない。これは古代ギリシャという現実世界を舞台にしていることの副作用であると思うが季節や景観に大きな変化を見ることはできず、ロケーションや島ごとの特徴は皆無である。

例外的に、序盤のケファロニア島からの出航は、この作品のなかの数少ない「広く見せる仕掛け」であると言えるだろう。これはFF3の浮遊大陸やFF7のミッドガル脱出と同じように、「これまでの冒険の舞台ははじつは広大な世界の一部であった」という実感をプレイヤーに与えるもので、世界を広く見せる仕掛けであるが、それだけではやはり十分ではない。

オープンワールドは魔法の杖ではない

これはオープンワールド批判ではない、しかし強調したいのはオープンワールドは、決してゲームジャンルの完成系ではないし、魔法の杖でもない。むしろ、そのほかの仕掛けがあって初めて輝くものなのだ。世界の広さやそこを旅する感覚を40時間で表現するための表現技法はまだまだ可能性が残されている。次世代のゲーム業界では、ゲームでしか体験できない「世界」の表現を見てみたい。




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