これはゲームなのか?展#2 備忘録Ⅰ 「ゲームの住人」
なのか展とは
12月7日~15日のなのか間、銀座線末広町駅の近くにあるアーツ千代田3331にて「これはゲームなのか? 展#2」が開催されていました。
昨年第一回が開催されたこの企画展は、新進気鋭のデザイナーたちが持ち寄った「これはゲームなのか?」と首をかしげたくなるような発想や着眼点で作られたゲームを「展示」し、「試遊」することができる展示会です。大好評につき、今年は規模も大きくして行うことになったとか。
昨年は残念ながら機会に恵まれず会場に足を運べませんでしたが、今年は2度見に行くことができました。1日目は友人と一緒に、2日目は1人で。どんな人数で行っても楽しめ、必ず何か新しい視点や発見を持って帰ることができる素晴らしい展示会だったなというのが、率直な感想です。
20以上の「素敵な」ゲーム達
今回は時間もゆっくり取れて回れたため、すべてのゲームをある程度以上楽しむことができました。折角の体験を忘れず残しておけるように、今日から少しずつ、簡単なルールとプレイしてみた感想、思ったことや考えたことをひとつひとつ書いてみようかなと思います。
もしよろしければ、お付き合いください。
全部終わるころにはたぶん年が明けてますね。すごい。
1.「ゲームの住人」
会場に入ってすぐに目につくのは、長机の上に置かれたお札。スタッフの方に説明を聞くと、このお札は「呪い」なんだそう。
10枚のお札が置かれていて、来館者はこのお札を自由に持って行ってよいとのこと。
ただし、持っている間はお札に呪われて、行動を制限されたり強制されたりしてしまいます。
例を挙げると……「移動がすべてカニ歩きになる」「作品を見ながら、周りの人に聞こえるように独り言を言わなければならない」「瓶底眼鏡をかけなければならない」など。
「じゃあ、もうたくさん呪われている人が(会場に)いるんですね」
「はい。9名ほど呪われてますね」
会場内で呪われている人を見つけた場合、対応した「合言葉」を言いながら「勇気のコイン」を渡すことで解呪してあげることができます。
呪いを解いてもらった人は、コインを受け取って「勇気ある者たちの証」にお礼と共に入れに行きます。この時、呪いは解呪してくれた人に移ります。
ルールはざっとそんな感じでした。
不思議なプレイ感
僕が会場についた時点にはもう呪いもほとんど蔓延していたので、解呪側で参加しました。
まずは呪いにかかっている人を探すのですがこれがなかなか難しい。
呪いの数が10もあるので、「合言葉」と呪いの行動を全部覚えておくのが地味に面倒だったのです。
あと呪いの内容が絶妙で、普通に観覧している人と呪われている人を見分けるのがそこそこ難しい。
それっぽい動きしてる人いたら合言葉を見に戻るか、などと思いながら他のゲームの説明を聞いていたら、後ろを通り過ぎながらやたら拍手をしている人が。
これ多分「拍手の呪い(作品鑑賞中、周りに聞こえるくらいの大きさで拍手をしなければならない)」の人だなと思ったので、遊び終わった後でコインを持って同じ人を探してみました。
まだ拍手してた。
「勇気」のコイン
「拍手が趣味の人だったらどうしよう」とか「知らない人に話しかけるのってなんか怖いな」とか、ちょっとした逡巡もありましたが結局解呪を試みることに。
「あの……おめでとう」
「あ! ありがとうございます。」
無事解呪成功。良かった合ってたという安心感が凄かったです。
なのか展という特殊な場所でも、知らん人にいきなり謎の文脈で話しかけるのは躊躇うもの。だから「勇気のコイン」なのかなと思いました。
「じゃ、これお願いします」
と言われて、お札を渡されてその方とはお別れしました。
呪われて
いや、すっかり忘れてましたけどこれ次は僕が呪われるんですね。なんてことだ。
呪いは1分後に発動と書いてあったので、ポケットにお札を仕舞い、会場をふらついたところで正式に呪いを受けました。
壁に展示されているタイプの作品を見ながら拍手をし、次の場所に移動するときはすっとおとなしくなる。ハタから見ると、展示にめちゃくちゃ感動した人か拍手が趣味の人か呪われてる人のどれかです。
誰も助けてくれない。
わかったこと
会場を1週くらい(拍手しつつ)しながらつらつらと考えたのは、「ゲームの住人」目線ではこの会場には3種類の人間がいるということ。
1.そもそも「ゲームの住人」のことをあんまりよく知らない
来たばっかりで説明を聞いたり読んだりしていなかったり、会場をなんとなくで回って雰囲気を楽しんでいたりするタイプの人。
この人たちからは、僕は寒さにやられた人に見えます。
2.ルールは知ってるけど話しかけはしない
誰かの呪いを解くと、その呪いは自分へと移されます。
一応お札の自主返納による解呪も可能ですが、折角ここまで来ているのにそれはなー。というのもあって、結果的に呪われている人たちを見て楽しんでいるタイプ。あとはシンプルに話しかけるというハードルが高い人。
この人たちからは、僕は「ゲームの住人」の参加者に見えます。
3.勇気あるもの
呪われている人を探して解呪することを目標に、会場内を血眼で歩くタイプの人。寧ろ呪いを私に寄越せくらいのテンションかもしれない。
この人たちからは、僕はターゲットオブジェクトに見えます。
同じ会場で同じもの見に来てるのに分化するの面白いなーと思いながら拍手してたら、僕の所にも「おめでとう」と言いに来てくれる人がいました。
本当にありがとうございました。
これはゲームなのか?
結論から言うならば、これは立派にゲームでした。会場全域がゲームエリアで、特殊なルールをアイテムと紐づけてプレイヤーに付与する。条件を満たせば、ルールはプレイヤー間で移動していく。ルールはすべてペナルティなのに、プレイヤーは喜々としてそれを受けに行くわけです。
街中で急にやったら白い目で見られそうな行動を、「呪い」という大義名分を以て行える非日常体験もとても楽しいですし、「勇気」を伴うハラハラ感もある。良いバランスで作り上げられたゲームだなと思います。
そして、「ゲームに参加している人数も、参加者の見分け方も非常にあいまい」であるという点が凄く良いなと感じました。
「はい、じゃあ今からゲーム始めますので集まってください。説明します」でも「一緒にこのゲームやろう!」でもなく、
「もうこのゲームのプレイヤーが会場内に散らばってるので探して何とかしてください」「どこにいるかわからない人の助けを期待して呪われてください」という世界観。よーいどんではなく、ゲームは僕が来た時点で既に進行しているわけです。
「ゲームはプレイヤーが集まって、共通のルールを守って行うもの」という前提が取り払われて、「暗黙のルールを守っている仲間を探す」という楽しみ方ができる。
「ルール」というもの自体を「守るべききまり」や「ゲームを円滑に進めるための縛り」ではなく、舞台装置の一つとして活用するというとても新しい試みでした。ルールがプレイヤー同士の橋渡しになる感覚と表現するのが良いかと思います。
会期が終わった今になって、「呪い」を持っていることを気付かれないように過ごすという楽しみ方もあったんだなあと思うことがありました。
「宇宙ドミノ」や「チュンバクラム」でタイミングよく拍手したり、あくびを持ったままプレイに参加してみたり。プレイヤーによって楽しみ方が大きく変わる、拡張性の高いゲームですね。
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