UXデザイン&ビジネスデザイン視点から見るスポーツの可能性
東京2020オリンピックが終わった。
招致時の買収疑惑に始まり、新国立競技場のザハ案撤回、エンブレム盗用疑惑、コロナ禍による1年延期、組織委と開閉会式の迷走人事、終わってみれば史上最高額に膨れ上がった開催費用…と、スポーツの祭典というよりむしろ問題の祭典として歴史に刻まれそうな今大会だけど、こんな状況でも、こんな状況だからこそ、選手たちの覚悟や奮闘は、変わらず尊く感じた。
一方で、直前に無観客が決まったこともあり、オンラインならではの試みや、夢見ていたような新しい観戦体験と呼べるようなものは残念ながら見られなかった。
でも、スポーツが「観る」や「プレイする」にとどまらない複合的な体験を含んだ、様々な領域への広がりを持つ豊かなものであることに変わりはないし、テクノロジーやクリエイティブでその可能性を大きく広げている事例や動きは、確かにある。
例えば、テクノロジーでの新たな観戦体験。
このコロナ禍で、ストリーミングライブや投げ銭は一気に当たり前になった。間もなく訪れる5Gの普及によって、観戦体験はどう変わるのか。XRやメタバース上でどんな体験ができるのか。
例えば、旅行や地方創生。
スポーツチームがシティプライドにつながり、スタジアムが都市機能の一翼を担っているように、スポーツとまちは不可分の関係にある。
「せっかくアメリカに来たからにはメジャーリーグやNBAを観てみたい」と思うように、知らないまちに訪れて、そのまちに根付いたスポーツチームを観に行き、それをきっかけに地元住民と交流する。そんなスポーツツーリズムはこれからどう進化するのか。
例えば、実証実験の場としてのスタジアム。
試合の度に数万人が集まるスタジアムは、いわばそれ自体が小さな「仮設都市」だ。一方で、試合日以外はまちの中に広大なスペースをもたらす「まちの余白」でもあり、フリーマーケットやワクチン接種会場になったりもする。
そんな稀有な場を活用することで、どんなイノベーションが生まれるのか。
例えば、データのオープン化とファンの力。
知の民主化はスポーツにも押し寄せている。センシング技術とデータ分析技術の向上によって、マジックはロジックに分解され、誰もがそれに触れ、SNS等で語れるようになった。ファンとスカウティングスタッフ、マーケティングスタッフの垣根が溶けていった先に、チームとファンのどんな新たな関係が築かれるのか。
例えば、非日常から日常に染み出すクリエイティブ。
特にこのコロナ禍以降、より一層ライブでの観戦体験は非日常なものとして特別化されていくだろう。その一方で、チームはスポーツの枠を超えた「ブランド」としての振る舞いを身に着け、ファンの日常に染み出していく。
熱心なサポーターにとって、もとよりスポーツチームは自身のアイデンティティと深く結びついている存在だ。そんなスポーツが越境してくることで、ファッションシーンはどう変わるのか。
例えば、チーム運営と組織デザイン。
ビジョンを掲げ、あるルールに則って戦略と戦術を立て、ポジションと能力を見定めて人員を配置し、数年後を見据えた補強と編成を行う。この観点において、スポーツチームのデザイン・運営とビジネス組織のデザイン・運営には多くの共通項を見出だせる。さらに、成果主義や複業が当たり前になりつつある今、会社員とプロスポーツ選手のあり方はより一層近付いているとも言える。
そこから得られるチームデザイン・組織デザインのヒントとは。
これから数回にわたって、UXデザイン&ビジネスデザイン視点から見るスポーツの可能性について、思索的かつ観光的(Speculative & Sightseeing)な視点で深掘りし、僕らなりのアイデアを提示してみたい。
SandS 高井
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