SANdRA(moving florist)
花屋独立までの道のりのストーリー。 色んな人達との出会い、体験した思い出と未来の事を記録中。
高校を卒業して、専門学校に通わせる余裕がない、と母から言われ、父の会社が倒産寸前だった事を反抗期真っ只中に知らされた頃、それでも諦めきれなかった学校に通うという事、花の基礎を学びたい、好きなバスケットボールもできる。家を出たい。 やりたい事に溢れていた私は親がどんなにピンチな状況も分からず、行きたい!の一点張りで色んな物を手放し、父は専門学校に通わせてくれた。バイトをしながら学費代を少しづつ返しながら1年間だけ通う事ができた。 独立して、会社を作る事、人を雇う事がどれ
高校生になった事、夏休みにバイトの許可を貰い、花屋さん、、というか花の卸しの工場ではじめての花屋さんに関わる仕事をした。確か時給は770円の8h。今ではあり得ない時給の安さ、笑。 小学生でお花屋さんになりたくて、中学生ではバスケットボールが好きになり、花屋さんという存在は好きだったけどその頃はバスケットボールに費やす日々だった。 高校生でもバスケット部に入り、とっても厳しい3年間だったけど、そこで忍耐を養われた。昔の指導は今では問題になるほどきつかった。でのその時の監督が
小学生の頃、家のベランダで空想するのが好きで、じーーーっと空を眺めながら自分は魔法が使えると思い込み、『嵐が来る来る』と空を眺めていたり、『雨降れ雨降れ』と念じてみたり。一人で公園からつながる山道に入って何か不思議な事が起きないかな、、と短い旅に出かけてみたり。。 いちいちこんな事したとか、こんな事考えてた。とか親に話すこともなく、育ってきたけど、親の立場からすると危ない子、、色んな意味で。と思われそうだけど。。自然としてきた頭の中の空想が、形の無いところから作りだす、商品
物心がついた頃から、家のガレージの上にコンクリートで作られた花壇には毎年チューリップが咲いていました。 その頃から自然と花が好きになり、今よく思う頃は、母親が花を好きじゃなかったら興味が湧かなかったのかな、、とか。花をプレゼントしたら喜んでくれたから花屋になったのかな、、とか、、 無事に出産できたらもうすぐ親になる今、子供の頃の環境や見た景色や感じた事が未来に繋がるんだろうなと、、 好奇心旺盛なのは多分父親譲り。悲しい事に、父が亡くなってからカスミ草みたいな小さな白