コネなし21歳の私がミラノのデザイン事務所で働くまでの話
よく聞かれるので、どういう経緯でミラノのプロダクトデザイン事務所で働いていたか、書いておきます〜。働いていたのは3年前ですが。
私は高校卒業後すぐにIstituto Europeo di Design(ヨーロッパデザイン学院)ミラノ校に進学しました。イタリアでは割と名の知れた、デザインに特化した大学です。
物作りが好きで昔からデザインに興味がありました。言語を学ぶことが大好きだったので、どうせならデザインも言語も同時に習得したい、と欲張って、プロダクトデザインが有名なミラノに行くことに決めました。快く留学させてくれた家族に本当に感謝しています。
私は英語で授業を受けるコースに入ったのですが、英語もままならなかったし、デザインは初心者だったのでかなり苦労しました。頼れる人も周りにいなかったので慣れない環境で生きていくのに必死でした。
猛勉強した甲斐があって、1年生の時は進学ギリギリだった試験の点数も3年時には格段に伸びて、英語もイタリア語もデザインスキルもパワーアップ。プレゼンの代表に選んでもらえたり、試験で満点+の評価をもらったりしました。
そして無事に卒業!卒業試験の評価基準が厳しくて、優秀でも卒業できないクラスメイトもいました。あんなに落ちこぼれだった私が卒業できたという事実が泣くほど嬉しかったです。
卒業後、もう少しイタリアに住んでチャレンジしてみたいと思い、仕事先を探し始めました。これがもう、スーパーハードモード。
まず前提としてイタリアは失業率が高く、特に実務経験のない若者は採用されにくいです。日本みたいに新卒一括採用のシステムはありません。
その中でも、建築やデザインの業界は本当に狭き門。特にミラノは世界中からスキルの高いデザイン学生が集まっている都市で、デザイナーというポジション自体が飽和状態。優秀なインターン生なんて、どれだけでもいます。そして彼らは実務経験がないと就職できないので無給でもやります。それを良いことに多くのデザイン事務所は若者をインターンという名のタダ働き(本当は違法のはず)で雇うというブラックなループが存在していました。
求人はほぼなくて、コネで入る人が多いのですが、私はコネも何もありません。好きなデザイナーの事務所に履歴書と作品集を送って、働かせてください!とメールを送りました。返事が返ってくるところが半分くらい。そのうち面接してもらえたところがいくつかありましたが、かなり冷たい対応をされたところもあって、ミラノの街で1人で泣きまくったことを覚えています。私のイタリア語は拙かったし、今思うと作品集のプレゼンも見てられないくらい下手だったと思います。
続けていくうちに、面接にも慣れ、あるデザイン事務所で働けることになりました!憧れのデザイナーさんの事務所だったので大歓喜でした。給料は低かったけれど、あの頃の私のスキルを考えると充分過ぎたと思います。何よりも優しいボスと同僚に恵まれて嬉しかった〜。初めて自分でイタリアでデザインの仕事をして稼いだ給料で買ったものは豆の缶詰でした。
そこで色々学ばせてもらって毎日幸せだったのですが、1年弱くらいで日本に帰ることにしました。理由は滞在許可を得るのがとーっても大変だから。
イタリアのデザイン事務所はスタッフを雇うことは少なく、大体がフルタイムの業務委託です。事務所は滞在許可やVISAの手続きをしません。だから私のような外人もフェアにみてくれた(ビザなどのややこしい手続きをする必要はないから)というメリットもありますが、自分で取得するには非常に面倒な書類を集めたり、会計士を雇ったりしないといけなくて、もう外人として生きるのに疲れたな。って思って帰国した次第。
大好きなイタリアを離れて、すぐに就職先を見つけて、安定した給料や、ある種の生きやすさを手に入れました。イタリアが恋しくなることも多々ありますが、後悔はしていません。
以上、運とパッションで生き抜いてきた私の話です。これを書いてみて今の日本の生活は超イージーモードなので怠けているのでは?と思っちゃいました。あの時のエネルギーを取り戻しながらこれからもデザインと共に生きていきます。
イタリアの留学情報って、ネット上に少なくてとても困った記憶があるので、力になれるか分かりませんが、参考までに。