疫病(はやりやまい)と狐憑き (その2)
前回書いた「疫病と狐憑き」から、面白いと思ったことを一つ。
どうも世の中は“酒飲み”に甘いのではないか、と
昔々から感じていたのだが、江戸時代まで遡ると違うようで。
先日紹介した
「疫病(はやりやまい)と狐憑き」昼田源四郎著 みすず書房 では
精神に異常をきたした状態を「乱心」と呼ぶが
病気としての乱心と酒を飲んだ上での「酒狂」とを厳に区別している。
乱心で人を殺した場合は原則死刑なのだが
被害者側からの了承があれば減刑されることが多いという
その一方で
酒狂の場合は原則としては減刑の対象にはならず
たとえ被害者側が許すと言っても死刑であった。
この判断の差は・要するに
乱心が、自ら招いたわけではない不可避的な「病気」なので
責任能力に対する配慮がなされたのに対して
酒狂は、自ら招いた結果である、というワケで
責任能力あり、とされたのだ。
どんなに酩酊が深くとも
そのために限定責任能力とされ減刑されるというものではなかった。
ただし、単純酩酊ではないもの
今でいうアルコール幻覚病等の疑われる「乱心」については
責任無能力者としての扱いとなり、死刑から永牢に減刑された件があった。
それでも永牢は今でいう終身刑なので軽いとは言えないだろう。
酒狂事件の判決文には
「不行跡」「心得方宜しからず」等々
酒狂犯罪に至る普段の生活態度を問題にしている言葉が
しばしばみられるのだと。
結論
江戸時代は酒飲みには厳しかった!
で、ナンで「酒の上のことだから」なんて風潮になったのだろか?
謎は深まるばかりである。