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メガネの誤解

子どもの頃、若い人のメガネ姿は今よりずっと少なくて
中学時代は一クラス45人の中に3人程度だったか。
(高校に入ると自分も含めメガネ率は爆上がりになったが)

さてその頃、ドラマの小道具としてのメガネは
年寄りの老眼を意味するものと
勉強で机にかじりついている学生や生徒を意味するものだった。
(昭和の人には「ガリ勉」で通じる)
老眼を表す方のメガネは身近に見ている通りでリアルだったが
若い人のメガネにはどうにもウソ臭いことがあった。
例えば、何か難しそうな書類や本を読むときに
「突然メガネ姿になる」
おそらく「難しい内容」を意味する演出だったのだろうが
若い人がこれをやるとどうにも不自然で…。
もし強度の近視で手元の文章を読むにもメガネが必要だというなら
それまでメガネなしで歩き回るのはおかしい。

手元のものを見るときに
普段メガネをかけていない若い人はメガネをかけなくても見える。
普段メガネをかけていない人がメガネをかけるのは老眼か遠視である。
つまり老眼の年寄りがメガネをかけることと
近眼の若い人がメガネをかけることを製作者は混同している。

そしてこの「勘違いの演出」がいまだに見られるのはなぜだろう。
日本人の半分は近視なのに。
メガネは科学者の白衣と同様に
知的作業のアイコンになってしまった。

だけどね・それでもね

まだ老眼の年じゃないだろうという人が
突然メガネ姿になって「知的作業」をするのはやっぱりオカシイ。

高校時代から長らく近眼の時代を過ごしてきて現在老眼も加わった自分には
どうにも「もにょる」光景なのだ。