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幼稚園児の頭ン中
幼稚園の卒園記念帳に園児だった自分の絵が載っている。
引っ張り出すのが大変なので思い出して描いて見ると
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内容を解説すると
当時、昔話に出てくる福の神の認識が
貧乏な(モノが無い)人に何かいいモノをくれる存在で
ただ、福の神の姿かたちはイマイチ理解していなかったので
福の神の顔と言うか頭が不思議な形なのは
教室の壁に
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園児が折り紙で作った「福の神」がたくさん貼ってあって
記憶にある形から想像するに
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幼稚園児が折れるように必要最小限の作り方なのだろう。
自分としてはその壁に貼られた折り紙が福の神そのもので
福の神の姿というか頭部をその形で認識していたワケだ。
ただ、自分は病気がちでよく休んでいたから福の神を作った記憶はない。
福の神の顔が怒っているのは別に理由はなく
顔を描くときに頭に浮かんだ表情が怒った顔だっただけだ。
怒った顔は表情がはっきりしているから、ではないか。
だって、豊かな表情なんて表現できなかったし。
当時は小さな子が目にできる画像表現が圧倒的に少なかったのだ。
「怒ってるの」と言う自分の言葉を
先生や親は深刻に受け取ってしまったと思うが、自分としては他意は無い。
子どもの絵には意味があるようで無いようで、と心得よ。
で、昔の人だから服は着物でぞうりを履いている、と。
着物の形はやはり折り紙の「やっこさん」である。
おそらくは幼稚園児である自分が折れる唯一の折り紙だったのだと思う。
そして
当時の自分にとって最も特別なモノと言えば
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子どもの頃から甘いものが苦手で、綿あめをたくさん食べたいと思うのは
おいしいからと言うより、その「特別感」が特別だったからだ。
あの色と形と感触は本当に特別で、他には無かったのだ。
綿あめはまことに「ハレ」の食べ物であった…
さて次は
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空には雲があって、雲の上には雷様がいるのだと思っていた。
そして富士山は
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遠くにある、これも自分にとって特別な山で
いや、要するに山と言えば「富士山!」だっただけだけど。
なぜか幼稚園の時から富士山は昔噴火して煙を出していたと知っていて
昔話で昔だから富士山は噴煙を上げているという認識だった。
というのが
幼稚園児(当時5歳)の自分が絵を描いた時の頭ン中である。
5歳児の認識はこんなモノではないか。